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孟 知祥(もう ちしょう)は十国後蜀の初代皇帝。 ==生涯== 邢州龍岡に孟道の子として生まれる。父や叔父と共に後唐の荘宗の下で武将として転戦していた。後唐が前蜀を滅ぼすと、荘宗より西川節度使に封じられ、成都の地で勢力を蓄えた。 その強勢を警戒した明宗は孟知祥に対する抑制を強めてゆく。これに反発した孟知祥は長興元年(930年)に後唐に対して挙兵するに及び、長興2年(932年)には蜀の地より後唐勢力を駆逐、翌年には懐柔策に転向した明宗より蜀王に封じられた。 応順元年(934年)には後唐の継承争いに乗じて自立、国号を大蜀として自らも皇帝を称し、明徳と改元している。しかし即位後僅か7か月で崩御した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「孟知祥」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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