翻訳と辞書
Words near each other
・ 孟津抄
・ 孟津県
・ 孟浩然
・ 孟特穆
・ 孟獲
・ 孟珙
・ 孟皇后
・ 孟知祥
・ 孟秋
・ 孟節
孟表
・ 孟起
・ 孟軻
・ 孟連
・ 孟連タイ族ラフ族ワ族自治県
・ 孟連傣族拉祜族佤族自治県
・ 孟連県
・ 孟達
・ 孟選侍
・ 孟郊


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

孟表 : ウィキペディア日本語版
孟表[もう ひょう]
孟表(もう ひょう、435年 - 515年)は、中国南北朝時代軍人官僚は武達。本貫済北郡蛇丘県
== 経歴 ==
青州徐州北魏の手に落ちると、孟表は江南に渡り、南朝斉に仕えて馬頭郡太守となった。
494年(斉の建武元年、北魏の太和18年)、馬頭郡に拠ったまま北魏に帰順し、輔国将軍・南兗州刺史に任じられた。馬頭郡太守を兼ね、譙県侯の爵位を受け、渦陽に駐屯した。498年(太和22年)、斉の豫州刺史の裴叔業に渦陽を60日あまり包囲された。城中は食糧が尽き、朽ちた革や草木の皮や葉を食べて飢えをしのぎ、防戦につとめた。北魏の鎮南将軍王粛が義陽の包囲を解いて引き返し、渦陽の救援にやってくると、裴叔業は渦陽の包囲を解いて撤退した。
孟表は防戦の功により汶陽県開国伯に封じられた。征虜将軍・済州刺史に転じ、散騎常侍・光禄大夫の位を受けた。平西将軍の号に進んだ。宣武帝の末年、平東将軍・斉州刺史に転じた。515年(延昌4年)、死去した。享年は81。安東将軍・兗州刺史の位を追贈された。は恭といった。
子の孟崇が後を嗣ぎ、昌黎済北二郡太守に上った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「孟表」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.