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季 布(き ふ)は、中国の秦末から前漢初期にかけての武将。はじめ楚の項羽配下だったが、のちに劉邦に仕えた。 ==生涯== 項羽と同郷の生まれで、若い時から弱者を助けていたことから任侠としても名高かった。その信頼も厚く、楚漢戦争の際には劉邦を幾度も窮地に立たせた。 項羽亡き後は、漢よりの追手から逃れるために各地を逃亡し、濮陽の町の周氏の家に潜伏していた。劉邦は季布に千金の賞金をつけて探させ、匿う者は一族諸共死刑と布告した。周氏の主人は季布に勧めて、魯国の朱家の下で過ごすこととなった。漢の追及が激しい為に一旦季布は、頭を剃り、首枷をつけ、奴隷のなりをして魯の朱家の家へ向かった。朱家は大侠客として名が知れており、周氏の仲介で季布は朱家の客分となった。朱家は漢の都・洛陽へ向かい、劉邦の配下のうち義人として名高い夏侯嬰を訪ね、劉邦への仲介を依頼。劉邦と直接対面した結果、季布は郎中(警護役)に取り立てられた。以降、河東郡の太守にまで出世した。 季布は子供の頃から義理堅い人物として評判であり、その物事を直言する人柄とで次第に宮廷でも重みをますようになり、「黄金百斤を得るは、季布の一諾を得るに如かず」とまで言われるようになった。なお、季布が漢に取り立てられた後、遊説家の曹丘生が訪ねてきた。季布は遊説家を嫌っていたが、曹丘生が「『黄金百斤を得るは、季布の一諾を得るに如かず』という言葉が世間に広がったのは、遊説家である私が同郷のよしみで行ったものなのに、私を嫌うなんて酷いではありませんか」と言ったため、季布は曹丘生を気に入りもてなしたという。 後世でも、唐の魏徴が「述懐」の中で「季布に二諾無く、候嬴は一言を重んず」と、その義理堅さを歌っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「季布」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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