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株式会社宅地開発研究所(たくちかいはつけんきゅうじょ、)は、東京都新宿区に本社を置いていた、日本における創設期の都市計画コンサルタント会社であり、数多くの都市計画家、都市計画研究者を出した都市計画コンサルタントの1社である。最盛期には全国に支所を持ち、100名近い技術コンサルタントを保有していたが、現在、実質上活動を停止している。同名の会社は現在も存在しているが業態がすでに変わっている。 == 沿革 == * 昭和35年東京大学高山英華教授を中心に各界の若手研究者によって都市計画・都市問題の研究を目的に設立された「都市建設総合研究会」を母体に昭和37年8月15日株式会社宅地開発研究所として10数名のスタッフから始まった。 * 会長 高山英華(東京大学名誉教授) 社長 大庭常良(工学院大学名誉教授)をはじめとして副会長に棚橋一郎(ペルー国立工科大学名誉教授)、顧問に伊藤滋(東京大学名誉教授)などの研究者も在籍していた。高山、大庭両氏は現代都市計画辞典(彰国社)においても日本の都市計画界で、都市計画家の研究実践を通じて弟子の教育をしてきた創設学者として紹介されている。 * 旧日本住宅公団(現独立行政法人都市再生機構)や全国の公社などより開発が行われた、日本中の主要大規模ニュータウン(多摩NT、港北NT、千葉NTほか)や各種博覧会などの会場計画、跡地利用のほとんどのプロジェクトにコンサルタントとして参画し多くの実績を残した。 * 大規模宅地設計ができる技術を保有する数少ない技術者集団であり、特にマスタープラン〜基本設計までを得意としていた。新住宅市街地開発事業については当時独占状態にあった。 * また社団法人日本宅地開発協会の設立にも大きく貢献し、人事交流も幅広く行われていた。このほか旧建設省の実践団体として広域・地域・地区という各段階のつなぎ、あるいは国・県・市町村間、又官民のつなぎという専門家集団としてのインターフェイスの役割を果たしてきた。 * しかし、大型宅地供給ニーズの低下、バブル崩壊、住宅・都市整備公団(現都市再生機構)宅地開発事業撤退に加え、メインバンクあった北海道拓殖銀行倒産を機に、旧ミサワホームに資金援助を受け実質上子会社化された。これにより優秀な技術者は独立していき、現在は都市計画コンサルタントとしてではなく、不動産業に業態を変えている。 * 都市計画コンサルタントとして最後の作品としては、愛知万博の初期段階からコンサルタント(村上勇、伊藤智和、吉居誠二、玉井登、矢崎博信など)が参画し、里山保全活動が社会現象にもなった海上の森ゾーンの保全と活用計画といわれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宅地開発研究所」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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