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宇久 盛長(うく もりなが、生没年不詳)は、安土桃山時代の武将。宇久盛重の子。通称、八郎兵衛。従姉妹の宇久氏19代当主宇久純尭の娘の細子姫(細御寮)を妻とする。弟に貞方頼繁。子に五島盛利。 父の盛重は五島を平定した17代宇久家当主盛定の次男で、父の代より幾久山を治める。朝鮮の役のときは、城代留守役となる。妻の細子姫は美貌の持ち主で、五島を訪れた豊臣秀吉の家臣の目に留まり、このことを聞き及んだ秀吉は名護屋城の陣中への出仕を命じた。しかし、細子姫は、出仕の道中に貞節を守り自刃したという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宇久盛長」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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