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宇喜多 基家(うきた もといえ、永禄5年(1562年)? - 天正9年(1581年)8月〔は、安土桃山時代の武将。宇喜多氏の家臣。宇喜多春家の子で宇喜多直家の養子〔『百家系図』巻29所収「浮田系図」、『百家系図稿』巻17所収「宇喜多系図」〕、又は、宇喜多忠家の子。与太郎。沼城主。 ==生涯== 天正7年(1579年)、宇喜多氏が織田氏と和睦する際に直家の名代として織田信忠と面会したと伝わる。天正9年(1581年)8月、毛利氏・穂井田元清との備前八浜合戦に総大将として、春家、忠家と参加するが、流れ弾に当たって討死した。この合戦で父・春家も討死している〔。基家は宇喜多氏の菩提寺とされる大賀島寺に葬られたが、与太郎神社(岡山県玉野市八浜)も築かれている。また、いつのころからか「与太郎様」と呼ばれ、足の神様として信仰を集めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宇喜多基家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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