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宇多河荘(庄)(うだがわのしょう)は伯耆国汗入郡に存在した荘園で、現在の米子市淀江町東部を中心とする。宇多川荘とも書く。 == 沿革 == 平安時代後期、寄進地系荘園として成立した。鎌倉時代までは近江日吉社を領家(本家:延暦寺)として推移したとみられる。 鎌倉時代に入ると宇多河東荘・上荘・下荘という呼称がみられる。東荘は長講堂領となるが、日吉社が他からの妨害を防ぐために一部を寄進したものと推定され、その「給人」は円智(平親範)から勧修寺家代々に相続されている。一方、上下荘の地頭は来迎院が任じられたが、うち上荘は1270年から南北朝期まで山内首藤氏が代々相続する。 室町時代には、大山寺領としての史料があり、上下荘は本家:延暦寺から大山寺に譲与されたものと考えられる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宇多河荘」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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