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宇奈古 ( リダイレクト:志良須宇奈古 ) : ウィキペディア日本語版 | 志良須宇奈古[しらす の うなこ] 志良須宇奈古(しらす の うなこ、生没年不詳)は、8世紀に日本の出羽国秋田城下にいた蝦夷(俘囚)の指導者である。780年に秋田城の廃止をおそれて請願した。史料の読み方により志良須と宇奈古の2人とする説もある。 == 史料による事績 == 秋田城停廃をめぐる『続日本紀』宝亀11年(780年)8月23日条にのみ見える。この頃、陸奥国では蝦夷との戦争(宝亀の乱)が激化し、3月には東北経営の中心拠点たる多賀城が一時陥落する事態にまで至っていた。 その時、「狄志良須俘囚宇奈古等」が、「己らは官威に拠って久しく城下にある。今、この秋田城はついに永く棄てるところとなるか。また元のように交代制で保つことになるのか」と訴えでた。出羽国鎮狄将軍の安倍家麻呂は、これを都に報じて対応を問うた。朝廷は秋田城に多少の軍士〔軍士とは、出羽国司の下にある軍団の兵士、鎮守将軍指揮下の鎮兵と区別して、戦時に編成されて派遣された(この場合鎮狄将軍が率いて来た)遠征軍の兵士をいう。〕を派遣して守らせ、国司のうち一人を専門にあたらせよと命じ、また由理柵の守備についてもあわせて指示した。そして、狄俘と百姓によく尋ねて彼らとこちらの利害をつぶさに言え、という答えを下した。 この後のやりとりは伝わらないが、秋田城は国司の一人、「介」を常駐させて保たれた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「志良須宇奈古」の詳細全文を読む
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