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天知 茂(あまち しげる、1931年〈昭和6年〉3月4日 - 1985年〈昭和60年〉7月27日)は、日本の俳優・歌手。愛知県名古屋市出身。東邦商業学校卒業。本名は臼井 登(うすい のぼる)。別名はペンネームの宇寿木 純と臼井 暢浩。芸名はファンである中日ドラゴンズの天知俊一監督と杉下茂投手が由来。 == 来歴 == 旗本・水野十郎左衛門の子孫で、高校卒業後、1949年(昭和24年)に松竹へ。大部屋俳優以下の仕出し扱いであった。2年間、通行人などをこなしたが解雇される。 1951年(昭和26年)、第一期新東宝スターレットに選ばれ入社。同期には左幸子・久保菜穂子・高島忠夫・三原葉子・松本朝夫・小笠原弘らがいた。同期の新人が次々と主演に抜擢される中、ここでもほとんど仕出し扱いで、最初の2年間は給料わずか5千円、兄からの仕送りがなければ暮らせなかった。仕出しやちょい役が続いたが、1954年(昭和29年)、蟻プロ制作の低予算映画『恐怖のカービン銃』で初主演。その後も脇役ばかりであったが、大蔵貢が社長に就任すると、経費削減の為、給料の高いスター級の俳優とは契約を打ち切り、脇役俳優に役が回ってきた。1957年(昭和32年)、『暁の非常線』で2度目の主演。悪役俳優として注目されるようになったが、当人は二枚目役を望んでいたので不満だった。1959年(昭和34年)、映画『東海道四谷怪談』で監督の中川信夫より民谷伊右衛門役に抜擢され、迫真の演技力により注目される。以後、1961年(昭和36年)まで多くの主演作が作られるようになる。労働組合委員長として新東宝倒産まで在籍した。 1961年(昭和36年)、大映と本数契約。時代劇を中心に準主演級で1971年(昭和46年)の大映倒産まで活躍。『座頭市物語』の平手造酒役での個性的な演技で頭角をあらわし、田宮二郎主演の犬シリーズではコミカルなショボクレ刑事役をこなした。伊藤大輔脚本・三隅研次監督・伊福部昭音楽の『眠狂四郎 無頼剣』(シリーズ第8作)では、狂四郎の敵役として対等の存在感を見せた。原作者の柴田錬三郎は試写を見て「これは(自分の)眠狂四郎ではない」と語り、主演の市川雷蔵からも「どっちが主役だが分からない」と不興を買った。 1964年(昭和39年)以降は兄貴分の鶴田浩二のいる東映の任侠映画でも準主演級で活躍。次第に役域を広げる機会に恵まれ、1968年(昭和43年)には三島由紀夫の依頼により、美輪明宏主演舞台『黒蜥蜴』(原作は江戸川乱歩、脚色は三島)で明智小五郎役を演じ、これが当たり役となる。 1966年に「A&Aプロダクション」を設立し独立(後にアマチプロゼに改称)。池田駿介・堀之紀などの俳優が所属していた。ニヒルな渋さを漂わせた個性派俳優として地位を確立。ハードボイルドの代表的スターの一人となり、かつてとは逆に、刑事など社会正義派的な役どころがはまり役となっていく。テレビ朝日系で放送された『非情のライセンス』や、土曜ワイド劇場で連続放映された『江戸川乱歩の美女シリーズ』は人気のシリーズとなり、明智小五郎は天知でなくては務まらないほどになった。また、『非情のライセンス』では主題歌「昭和ブルース」を持ち前の渋い低音で歌ってヒットさせた。 テレビ時代劇においても、映画界時代以来培ってきた安定感のある演技力で主演および主要脇役として活躍。『雲霧仁左衛門』、『無宿侍』、『江戸の牙』、『闇を斬れ』、『地獄の左門十手無頼帖』など連続ドラマやシリーズ物の主演多数、TBS系高視聴率番組『大岡越前』では与力・神山左門役で存在感を示した。 俳優以外の活動としてアマチフィルムを設立。自らも宇寿木純というペンネームでメガホンをとった。また、中川信夫の監督映画『怪異談 生きてゐる小平次』では題字を手掛けた。明智シリーズも25作目を数え、時代劇やコメディドラマでも味を見せ、新たな映画製作の企画を進めていた矢先の1985年(昭和60年)7月27日、クモ膜下出血により渋谷区の日赤医療センターにて死去。満。没した直後に明智シリーズ第25作『黒真珠の美女』が追悼放映された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「天知茂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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