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淡輪ニサンザイ古墳(たんのわニサンザイこふん)は、大阪府泉南郡岬町淡輪にある前方後円墳。名称は「宇度墓古墳(うどはかこふん/うどばかこふん)」とも。淡輪古墳群を構成する古墳の1つ。 宮内庁により「宇度墓(うどのはか)」として第11代垂仁天皇皇子の五十瓊敷入彦命の墓に治定されている。 == 概要 == 大阪府の最南端、大阪湾に面した台地上に位置する。800メートルほど西にある西陵古墳(国の史跡、墳丘長210メートル)、および両古墳の中間にあった西小山古墳(円墳、非現存)などとともに、淡輪古墳群を形成する。名称の「ニサンザイ」は「ミササギ(陵)」の転訛。現在は宮内庁の治定墓として同庁の管理下にあるが、治定墓としては珍しく2014年度(平成26年度)に墳丘の整備工事に先立つ発掘調査が初めて実施された〔2014年度の発掘調査に関する各ニュースサイト記事。 * “宮内庁、大阪・岬の陵墓を公開 「淡輪ニサンザイ古墳」” (朝日新聞、2014年12月5日記事) * “宮内庁が大阪・淡輪ニサンザイ古墳を公開” (産経ニュース、2014年12月5日記事) * “淡輪ニサンザイ古墳を公開 陵墓、宮内庁が発掘調査” (共同通信、2014年12月5日記事(47NEWS)) 〕。 墳形は前方後円形で、前方部を西南西方に向ける。墳丘は3段築成(4段以上か)。墳丘長は現在約170メートルを測るが、後世に削られており、築造時点では約200メートルあったと推測される〔。外部施設として、墳丘南側のくびれ部には方形の造出が認められる(後世に付加された方墳の可能性もある)。現存はしないが、北側くびれ部にも造出の存在が明らかとなっている〔。墳丘表面には葺石が葺かれ、加えて須恵質の円筒埴輪列、家・盾・キヌガサ・鳥などの埴輪があった〔千賀久・梅原章一『空から見た古墳』 学生社、2000年、p.165。〕。内部施設(埋葬施設)は明らかでない。墳丘周囲には幅約35メートルの周濠が巡らされたほか、そのさらに外側には兆域を区画した浅い溝(外周溝)が巡らされたことが判明している。この周濠付近の後円部外周部分には陪塚7基が分布し、うち6基が現存し主墳同様に宮内庁の管理下にある〔現地説明板。〕。 古墳の築造年代は、出土埴輪から5世紀中頃から後半の西暦440年-460年頃と推定されている〔。5世紀中頃に限って築造された淡輪古墳群の大型古墳3基(西陵古墳・西小山古墳・淡輪ニサンザイ古墳)のうちでは、西陵古墳に次ぎ西小山古墳と同時期で、本古墳の築造をもって当地での大型古墳の築造は終焉する。これら岬町の大型古墳群では円筒埴輪に独特の技法(淡輪技法)が見られるが、同様の技法は和歌山平野の木ノ本古墳群(和歌山市木ノ本)にも見られることから、古墳群は紀伊勢力(紀氏)との強い関わりの中で成立したと考えられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「淡輪ニサンザイ古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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