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宇文 遜昵延(呉音:うぶん そんにちえん、漢音:うぶん そんじつえん、拼音:Yŭwén Xùnnìyán 生没年不詳)は、匈奴系鮮卑族宇文部の大人(たいじん:部族長)。父は宇文莫珪、子は宇文乞得亀。『晋書』や『資治通鑑』では悉獨官(しつとくかん)と書かれる。 == 生涯 == 299年、遜昵延は拓跋部に朝貢し、拓跋禄官の長女を娶った。 父の宇文莫珪が死ぬと、子の遜昵延は後を継いで宇文部の大人となった。 平州刺史・東夷校尉の崔毖は高句麗,段部,宇文部を誘い、慕容部討伐を画策した。慕容部を倒した後はその領地を分け与えられることとなり、遜昵延はこれに応じ三国連合軍に加わった。 318年、三国は慕容部大人の慕容廆を討つべく棘城に迫った。慕容廆は三国連合が烏合の衆であると見抜き、離間の計をかけた。宇文部の陣営にだけ牛や酒が運ばれ、高句麗と段部は、宇文と慕容は手を組んでいるのではないかと疑い、三国連合を去っていった。しかし、遜昵延は「我らだけでも戦い、慕容の領地を領してみせる!」と言い、宇文部だけで慕容廆にあたった。慕容廆は三男の慕容皝に先鋒を命じ、直接宇文軍にあたらせ、長男の慕容翰には、奇兵となり遜昵延の陣に向かわせた。遜昵延は部下にすべてをまかせて防備を怠っていたので、慕容翰に陣営を焼かれ宇文軍は大敗し、遜昵延は単騎で逃げ帰った。この際、宇文部に代々伝わる“三紐の玉璽”を慕容廆に奪われてしまう。 遜昵延が死ぬと、子の乞得亀が後を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宇文遜昵延」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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