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宇治 みさ子(うじ みさこ、本名:野崎 美咲子、旧姓:田中、1932年5月25日 - 2012年2月27日)は、京都市右京区出身の日本の女優。旧芸名は山中美佐。父は俳優の田中春男。 == 略歴 == 幼少期はバレエ、ピアノ、日舞を学ぶ。 恵泉女学園高等学校卒業後、1952年4月に子供の頃よりかわいがってくれた渡辺邦男監督の紹介で新東宝に入社。山中美佐の名で「チャッカリ夫人とウッカリ夫人」でデビュー。 東映に移籍した渡辺監督を追うようにして、1953年に東映に移籍し、宇治みさ子の名で時代劇に多く出演。娘役でスターとなる。 1955年に新東宝に復帰した渡辺監督と共に宇治も新東宝に復帰し、時代劇で活躍した。1957年、「姫君剣法 謎の紫頭巾」で初主演。同年、「謎の紫頭巾 姫君花吹雪」「天下の鬼夜叉姫」と次々に主演作が作られる。1958年、「宇治みさ子の緋ぢりめん女大名」、「女剣戟王 宇治みさ子の大暴れ女侠客陣」に主演。タイトルに「宇治みさ子の」と入るほどのスターであった。 同1958年1月13日、第2回日本映画見本市に出席のため、城戸四郎(松竹社長)、白川由美、長谷川裕見子らとともにアメリカ合衆国のニューヨークへ出発。同2月9日、日本に帰国。当時はまだ海外渡航自由化の前で、大変貴重なニューヨーク訪問となった。 1959年、「剣姫千人城」に主演。渡辺監督がやめた新東宝に見切りをつけ、同1959年、大映と本数契約し1961年まで時代劇の脇役として活躍。以後はフリーとなり主にTVで活躍。1965年、日本電映「柔旋風」に出演したのを最後に引退。 1967年、日本テレビのプロデューサー野崎元春と結婚。野崎白芽の名で生け花の小原流家元として活躍。 2012年2月27日、肺炎により神奈川県横浜市青葉区の病院にて死去〔元女優・宇治みさ子さん79歳で死去 スポーツ報知 2012年3月4日閲覧〕。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宇治みさ子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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