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宇治電ビルディング(うじでんビルディング)は、日本の大阪府大阪市北区西天満四丁目にかつてあった建築物である。ここではそれならびにそのほかの地所・建物を保有するなどして不動産業を営んでいた会社についても記す。 ''※2012年の解体後、跡地に新築された建築物の名称も「宇治電ビルディング」だが、当記事では特記以外は旧ビルについて記述する。'' == 概要 == 第二次世界大戦前に電力事業を営んでいた宇治川電気は1925年(大正14年)、大阪・中之島に大阪商船・日本電力との協業による大阪ビルディングを建設し、同年9月21日より本社を置いていたが、業務拡大により手狭となったため自社による社屋建設が企図され、その用地として大阪府大阪市北区梅ヶ枝町164番(現・同区西天満四丁目8番17号)の地を定めた〔『宇治電之回顧』 185-187頁、年表〕。この社屋は1935年(昭和10年)4月に着工〔株式交換による株式会社宇治電ビルデイングの完全子会社化に関するお知らせ 関西電力株式会社、2003年8月26日付、2011年7月16日閲覧。〕、1937年(昭和12年)4月30日竣工ののち、同年5月26日には宇治川電気が全館を賃貸し同社の本社が移転入居した〔。 宇治川電気は国家総動員法の制定にともなう電力統合により解散することを余儀なくされたが、第二次世界大戦後の1951年(昭和26年)5月1日からは、宇治川電気も系譜の一つとなる関西電力(関電、同日発足)の本社として使用された。1960年(昭和35年)、(旧)関電ビルディングの完成に伴い関電の本社が同ビルに移転して以降はテナントビルとして運営されたが、老朽化のため2012年(平成24年)に解体された。この際、外壁に設置されていた装飾品の一部が保存されることになり、神像レリーフは大阪市(大阪歴史博物館)に寄贈されている〔大阪歴史博物館 特集展示「近代建築の記憶」を開催します 大阪市、2013年11月15日付、2014年6月25日閲覧〕。 跡地には関電不動産により地上13階・地下1階建の「宇治電ビルディング」が建築された。オフィスフロアの他、1階には店舗区画を有している。(2014年 10月竣工)〔宇治電ビルディングの紹介(地図<アクセス>と写真) 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宇治電ビルディング」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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