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宇田耕一 : ミニ英和和英辞書
宇田耕一[うだ こういち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [いち]
  1. (num) one 

宇田耕一 : ウィキペディア日本語版
宇田耕一[うだ こういち]
宇田 耕一(うだ こういち、1904年10月15日 - 1957年12月30日)は、昭和期の日本男性政治家実業家
== 人物 ==
高知県出身(大阪市生まれ)。父親は土佐中学校・高等学校の創立者でもある海運業者の宇田友四郎。幼少期は高知県香美郡岸本町の伯父の家で育ち、岸本尋常小学校から高知県立第一中学校(現・高知県立高知追手前高等学校)、高知高等学校(現・高知大学)を経て、京都大学法科に入学〔河村次郎(1995) 「昭和の偉人」 『宇多の松原 岸本小学校創立百二十周年記念誌』 pp.178-179. 香我美町立岸本小学校〕。
1929年卒業後、ヨーロッパ視察、兵役を経て、1930年南満州鉄道に入社。役員秘書等を務める。
1934年、引退する父親の跡を継いで土佐電気鉄道社長に就任。1937年からは経営不振に陥っていた淀川製鋼所の社長も務めた。1939年から1941年まで応召により中国に出征した後、高知県翼賛壮年団長に就任。1942年第21回衆議院議員総選挙翼賛政治体制協議会推薦候補として旧高知1区より立候補し当選。翼賛政治会翼壮議員同志会に所属する。
戦後は1946年から1951年まで公職追放。追放解除後政界に復帰し、改進党資金局長、日本民主党総務などを務めた。保守合同後は松村・三木派に所属。1956年石橋内閣1957年第1次岸内閣でそれぞれ経済企画庁長官科学技術庁長官として入閣したが、1957年12月に53歳で死去。
改進党時代は三木武夫とその同志(宇田自身も含む)の政治資金を一手に引き受けていたことでも知られている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「宇田耕一」の詳細全文を読む




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