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宇都宮 成綱(うつのみや しげつな)は戦国時代の武将・戦国大名で、下野の宇都宮氏17代当主。 戦国時代初期に、室町時代から続く度重なる内乱、戦乱で没落した下野宇都宮氏を立て直し、支配体制、家臣団を再編する。佐竹氏の中興の祖と呼ばれている佐竹義舜や蘆名氏の中興の祖蘆名盛高、那須氏や長沼氏、岩城氏など近隣の大名と争い大きく勢力を伸ばし、北関東最大の勢力にまで成長させ、下野宇都宮氏の最盛期を築き上げた。 また、下野宇都宮氏の戦国大名化に努めたため、宇都宮氏の中興の祖と呼ばれる。成綱は実質的に北関東の覇権を制した。 == 生涯 == === 誕生 === 応仁2年(1468年)、下野国守護の宇都宮正綱の二男として宇都宮城で誕生した〔一般的には宇都宮成綱は宇都宮正綱の嫡長子弥三郎として知られているが、古河公方足利成氏が成綱に与して武茂氏との戦いで活躍した簗右京亮に対しての感状には成綱のことを弥四郎と表記されているため、二男であったことが指摘されている。江田郁夫 著『戦国大名宇都宮氏と家中』(岩田書院、2014年)ISBN 978-4-87294-847-9〕。母は常陸国佐竹氏の一族である石塚義親の娘。父・正綱は芳賀盛高の子で芳賀高益と兄弟だと伝えられてきたが、近年の研究では、正綱は宇都宮等綱の次男で宇都宮明綱の実弟とされている。 宇都宮氏は南北朝時代の宇都宮氏綱の代に下野国守護、上野国守護、越後国守護を任され、三国を領する絶頂期を迎えた。薩埵山体制の中心勢力にまで飛躍したが、体制崩壊後に一気に没落。宇都宮持綱の代に幕府から上総国守護、京都扶持衆を任されるなど幕府派として重用されていたが、関東公方との度重なる対立によって再び没落していった。叔父・宇都宮明綱や父・宇都宮正綱の頃から古河公方派に外交方針を転換し、宇都宮氏を再興するために腐心していた。 成綱が生まれた時には京では応仁の乱の最中であり、関東でも享徳の乱の最中であり、戦国の乱世が到来しつつあった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宇都宮成綱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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