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宇露関係(うろかんけい)は、ウクライナとロシアの関係のこと。 ==歴史== ウクライナとロシアの関係は中世に遡る。 9世紀にはウクライナの地を中心としたキエフ大公国(ルーシ)という国家が存在した。12世紀にその国家の北東部は分離し、モンゴル帝国の来襲後にロシアの原型であるモスクワ大公国(ロシア・ツァーリ国)となった。ロシアはモンゴルに従属していたが、15世紀末に完全に独立した。一方、ウクライナは、キエフ大公国の滅亡後に、ハーリチ・ヴォルィーニ大公国(ルーシ王国)として存続したが、14世紀末にモンゴルに抵抗するための同盟国であったポーランドとリトアニアによって分割された。以後、ウクライナの諸侯とコサックは、ポーランドとリトアニアに従属し、東欧の支配をめぐるロシアとの戦いに参加した。 1648年に民族的・宗教的弾圧のためにウクライナ・コサックは、ポーランドからの独立戦争を起こし、ポーランドと戦うために1654年にロシアと同盟を結んだ。ロシアは戦争に介入したが、1667年にポーランドと単独講和し、アンドルソヴォ条約によりポーランドとのウクライナの分割を行った。コサック国家は分裂し、その東部はロシア帝国内における自治国として1787年までに存続した。 18世紀末にロシアはシーチの廃止、ポーランド分割とクリミア汗国の併合を行ったことにより、西部を除いてウクライナの全領域を支配下に置いた。ウクライナの自治制が廃止されたものの、ウクライナ人の多くはロシア帝国の運営への参加が許された。ロシアはウクライナでロシア化という同化政策を進め、ウクライナ人のコサックと農民をコーカサス、シベリア、中央アジアと極東の植民地化に利用した。 1918年、ロシア革命後に、ウクライナ人はウクライナ人民共和国の独立を宣言したが、ロシアの赤軍に破れ、1922年にウクライナ社会主義共和国という傀儡政権としてソ連に取り込まれた。1920年代から1940年代にかけてロシアの共産党は、ウクライナの重工業化・集団農場化・共産化を行った。その結果ウクライナ的な生活様式と多くの文化財が崩壊され、1932年から1933年にホロドモールと呼ばれる人工的な大飢饉が起こった。また、1920年代にウクライナ人が多数派であった地域のスタヴロポリ地方、クラスノダル地方、スタロドゥーブなどをロシアに併合し、1954年にロシア人が多数派であったクリミアをウクライナに譲った。 1991年にソ連が崩壊し、8月24日にウクライナはソ連から独立を宣言した。12月5日にロシアはウクライナ独立を承認した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宇露関係」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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