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守口漬(守口漬け、もりぐちづけ)とは、守口大根を酒粕で漬け込んだ漬物である。 == 歴史 == 守口大根は元々、河内国守口(現在の大阪府守口市)で栽培されており、守口大根だけではなく野菜全般を漬けたものを守口漬と呼んでいた。1589年(天正13年)に守口村で休息を取った豊臣秀吉が、その味を称賛して地名にあやかって付けたという伝承が残っている。江戸時代になると大坂街道の宿場として守口宿が置かれ、同宿の名産品として守口漬が出されるようになった。しかし、酒粕が当時としては高級品で手に入らず少量しか作られなかった(そのため、贈答品や献上品が目的だった)ことや、明治時代以降交通ルートの変更による守口宿の衰退と共に、当時の守口漬は奈良漬に吸収する形で消えていった。 一方、名古屋では古くから粕漬けが行われており、江戸時代末期には瓜や大根を粕漬(奈良漬)にして客に出していたという記録が残っている。明治時代に入って、中京地域で活躍した実業家・山田才吉が1881年(明治14年)、名古屋市中区で漬物店「きた福」(現・喜多福総本家)を開店。塩漬けした守口大根(美濃干し大根と呼ばれていた)をみりん粕にして「守口大根味醂漬」として店で売り出したところ大好評になり、後に守口漬と呼ばれるようになった。現在売られている守口漬は、山田が考案した手法により製造されたものである。 戦前までは岐阜県の特産品のイメージが強く、消費も愛知県・岐阜県両県にとどまっていたが、1950年(昭和25年)に開催された愛知国体で、守口漬が土産品として好評を博してから、名古屋名産のイメージとして全国的に定着していった。1952年(昭和27年)には守口漬の業者団体組織である「名城会」〔1984年(昭和59年)に「名古屋守口漬暖簾会」に改称〕が結成された。2005年(平成17年)に開催された愛知万博でも、長久手愛知県館に設置された「あいち・ふるさと自慢市」に出店し、外国の人にも守口漬をPRした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「守口漬」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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