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守屋源次郎 : ミニ英和和英辞書
守屋源次郎[もりや げんじろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [もり]
 【名詞】 1. nursemaid 2. baby-sitting 
: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

守屋源次郎 : ウィキペディア日本語版
守屋源次郎[もりや げんじろう]

守屋 源次郎(もりや げんじろう、1877年明治10年)12月〔『新編日本の歴代知事』920頁。〕 - 1939年昭和14年)10月30日〔『東京朝日新聞』1939年10月31日朝刊、11面の訃報より。〕)は、日本の官僚教育者政友会系官選茨城県知事
== 経歴 ==
京都府で守屋スマの長男として生まれる〔。第二高等学校を経て、1902年東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。大蔵省に入省し専売局属兼大蔵属となる〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』193頁。〕。1903年10月20日、文部省外国留学生〔『官報』第6092号、明治36年10月21日。〕として欧州へ出発し経済学を3年間学んだ〔『茨城県政と歴代知事』139頁。〕。1906年12月12日に帰国〔『官報』第7050号、明治39年12月27日。〕。長崎高等商業学校教授に転じた〔。1909年11月、文官高等試験行政科試験に合格〔。1911年10月20日、外務省に移り参事官に就任し〔『官報』第8502号、明治44年10月21日。〕、政務局第三課兼第一課勤務となる〔『官報』第8503号、明治44年10月23日。〕。
1913年3月8日、鉄道院に転じ総裁秘書兼同院参事に就任〔『官報』第181号、大正2年3月10日。〕。1919年6月23日に休職となった〔『官報』第2066号、大正8年6月24日。〕。
1919年9月27日、茨城県内務部長に就任〔『官報』第2146号、大正8年9月29日。〕。1920年5月の第14回衆議院議員総選挙おいて力石雄一郎知事と共に政友会の勝利に貢献し、1921年5月に茨城県知事に昇格〔。大正自由教育運動に反対し圧迫を加えた〔『茨城県政と歴代知事』136-137頁。〕。1923年9月に実施の県会議員選挙に関して、県会に選挙区の分区(小選挙区)を提案し可決させ、さらに選挙干渉を行って政友会を勝利に導いた〔『茨城県政と歴代知事』137-139頁。〕。また、千波湖・江戸崎入の干拓事業、県是製糸株式会社設立、工業試験場・繭糸市場設置などを推進した〔『茨城県政と歴代知事』140頁。〕。1923年10月25日、知事を休職〔『官報』第3354号、大正12年10月26日。〕。同年11月3日、依願免本官となり退官した〔『官報』第3362号、大正12年11月6日。〕。
その後、阪和電気鉄道顧問を務めた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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