|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 守 : [もり] 【名詞】 1. nursemaid 2. baby-sitting ・ 夫 : [おっと] 【名詞】 1. (hum) (my) husband
守屋 磨瑳夫(もりや まさお、1889年(明治22年)3月15日〔『沖縄大百科事典』下巻、680頁。〕 - 没年不詳)は、日本の内務・警察官僚。民政党系官選県知事。 ==経歴== 熊本県出身。守屋充次郎の長男として生まれる〔〔『人事興信録』第9版、モ20頁。〕。第五高等学校を卒業〔。1913年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1914年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し静岡県警部となる〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』205頁。〕。 以後、静岡県理事官、兵庫県理事官・工場監督官、大阪府警視、警視庁警視、福島県書記官・警察部長、社会局書記官・社会局保険部大阪出張所長などを歴任〔〔〔『新編日本の歴代知事』1130頁。〕。 1929年7月5日、沖縄県知事に就任。県経済の振興に尽力。県政界は政友会系が多数を占めていたが、民政派の勢力伸長に務めた。しかし、県民を軽視する姿勢が民政党県支部との対立を生み、知事排撃運動をもたらした〔〔。1930年8月26日、青森県知事に転任。凶作の復興対策に尽力〔『新編日本の歴代知事』108頁。〕。1931年12月18日、知事を休職〔『官報』第1493号、昭和6年12月19日。〕。1932年1月29日、依願免本官となり退官した〔『官報』第1523号、昭和7年1月30日。〕。 その後、海軍協会常務理事、神戸市助役を務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「守屋磨瑳夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|