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安中氏(あんなかし)は日本の氏族の一つ。上野国碓氷郡(現群馬県安中市)に拠った戦国時代の武士。安中城、松井田城を支配した。 == 概説 == === 安中氏の上州入り === 先祖は不詳。桓武平氏の平維茂の末裔とする説がある〔大田亮 『姓氏家系大辞典』 姓氏家系大辞典刊行会、1934年〕が、史料上の根拠は無い。 史料上での安中氏の初見は、野田忠持副状の享徳4年(1455年)頃とされる5月13日付の史料〔『高崎市史』第4巻 資139〕である。野田忠持が岩松持国に出したもので、享徳の乱の最中、安中左衛門の知行地に味方の大井播磨守が着陣したことを伝えている。享徳の乱時には既に安中氏は碓氷郡に拠っていたとみられる。 安中氏は碓氷郡に古くから居た一族ではなく、越後国から碓氷郡の野尻・松井田へ移住してきたとされる〔『安中市史』第2巻(通史編)〕。その後、野尻と呼ばれていた地は安中と改められている〔『和田記』によると、永禄2年(1559年)に野尻の窪庭図書を退けて其の地を安中に改めたという。〕。 近世に成立した史料〔『和田記』、『上野国志』など〕ではこの安中氏の移住を長享元年(1487年)とするが、野田忠持副状の記述と合わず、正確な年代は不詳である。 越後のどこから碓氷郡へ土着したのかも不詳。近世の史料〔はともに越後国新発田から移住したと伝えるが、新発田に安中氏の痕跡が無く、新発田を故地とはし難い〔。 なお、安中一族の名が確かな史料上で出てくるのは、貫前神社所蔵兜前立裏銘にある永正四年安中宮内大輔顕繁の文で、永正4年(1507年)に安中顕繁がいたことが分かる。〔『角川日本姓氏歴史人物大辞典』10巻、角川書店、1994年〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安中氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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