|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 井 : [い] 【名詞】 1. well ・ 仙 : [せんと] (n) cent
安井仙哲(やすい せんてつ、生年不詳 - 1780年(安永9年)7月4日)は、江戸時代の囲碁棋士で、家元安井家の六世安井仙哲。元会津藩士で本名原權平。五世安井春哲仙角門下、七段上手。 春哲仙角門下にて原仙哲を名乗っていたが、1748年(寛永元年)に仙角の跡目として御城碁に初出仕、井上春碩因碩に三子にて3目勝。1767年(明和4年)に本因坊察元が名人に就くと、察元に争碁を求めるが、跡目であるために資格なしとして認められなかった。 1775年(安永4年)に仙角が退隠し、家督を継いで安井家六世となるが、1780年(安永9年)に死去。法名は慈雲院隆圓日覺信士。養子としていた坂口仙徳の子の仙知が、跡式として安井家を継いだ。御城碁は39局を勤めた。 ==御城碁戦績== *1748年(寛延元年) 三子3目勝 井上春碩因碩 *1749年(寛延2年) 先番5目負 本因坊伯元 *1750年(寛延3年) 二子2目勝 井上春碩因碩 *1751年(宝暦元年) 先番ジゴ 井上春達 *1752年(宝暦2年) 先番1目負 本因坊伯元 *1753年(宝暦3年) 白番2目負 林転入門入 *1754年(宝暦4年) 先番4目勝 井上春達 *1755年(宝暦5年) 先番2目勝 林転入門入 *1756年(宝暦6年) 先番2目負 井上春碩因碩 *1757年(宝暦7年) 二子6目勝 井上春碩因碩 *1758年(宝暦8年) 先番2目負 本因坊察元 *1759年(宝暦9年) 白番5目負 井上春達 *1760年(宝暦10年) 先番4目勝 林祐元門入 *1761年(宝暦11年) 先番4目勝 井上春達 *1762年(宝暦12年) 先番ジゴ 井上春碩因碩 *1763年(宝暦13年) 先番1目勝 井上春達 *1764年(明和元年) 白番4目勝 林祐元門入 *1765年(明和2年) 白番3目負 井上春達 *1766年(明和3年) 先番8目勝 井上春達 *1768年(明和5年) 先番12目勝 林祐元門入 *同年 先番4目勝 安井春哲仙角 *1769年(明和6年) 白番4目負 井上春達 *同年 向五子4目負 津軽良策 *1770年(明和7年) 先番3目勝 井上春達 *同年 向七子5目負 中坊金蔵 *1771年(明和8年) 白番7目勝 本因坊烈元 *同年 白番10目負 林祐元門入 *1772年(安永元年) 先番6目勝 本因坊烈元 *1773年(安永2年) 先番ジゴ 林祐元門入 *同年 白番中押負 本因坊烈元 *1774年(安永3年) 先番6目勝 本因坊烈元 *同年 白番中押負 井上因達 *1775年(安永4年) 白番10目負 井上因達 *1776年(安永5年) 白番3目負 本因坊烈元 *同年 向三子中押負 林門悦 *1777年(安永6年) 白番3目負 井上春達因碩 *同年 先番18目勝 井上因達 *1778年(安永7年) 向二子8目勝 林門悦 *同年 白番中押負 林祐元門入 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安井仙哲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|