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安住 淳(あずみ じゅん、1962年1月17日 ‐ )は、日本の政治家。民進党所属の衆議院議員(7期)、民進党国会対策委員長。 財務大臣(第15代)、政府税制調査会長(第11代)、衆議院安全保障委員長、民主党選挙対策委員長、防衛副大臣(菅第1次改造内閣)、民主党国会対策委員長(第15代)、民主党幹事長代行(第2代)、民主党宮城県連代表〔宮城県連について|民主党宮城県総支部連合会 - 代表のご挨拶 〕等を歴任した。 父は牡鹿町長を務めた安住重彦。 == 来歴 == === 生い立ち === 宮城県牡鹿郡牡鹿町(現石巻市)生まれ。宮城県石巻高等学校を卒業後、一浪して早稲田大学社会科学部に入学、卒業。早大在学中は雄弁会に所属。大学卒業後、日本放送協会に報道記者として入局。自由民主党を担当し、園田博之内閣官房副長官の番記者を務めた経験がある〔ゴーマン大臣安住淳(財務相)「コンプレックスだらけの青春時代」 〕。当時の上司に影山日出夫がおり、安住が政界入りする際は「よく大変な世界に入るよな」と励まされたという〔スポーツ報知 2010年8月13日〕。1993年にNHKを退職。 同年、第40回衆議院議員総選挙に日本新党・新党さきがけの推薦を受け、無所属で旧宮城2区から出馬したが、落選。その後新党さきがけに入党するが、1996年に離党し、さきがけの幹部だった鳩山由紀夫や菅直人らが中心になって結党した旧民主党に参加する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安住淳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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