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安倍 真直(あべ の まなお、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族。姓は阿倍小殿朝臣のち安倍朝臣。官位は正五位下・左少弁。 == 経歴 == 左京出身。元は阿倍小殿朝臣姓を名乗っていたが、大同元年(806年)に同族の真出とともに安倍朝臣姓に改姓する(この時の位階は正七位上)〔『日本後紀』大同元年正月17日条〕。大同3年(808年)平城天皇の命によって出雲広貞とともに医学書『大同類聚方』100巻を撰述した〔『日本後紀』大同3年5月3日条〕。ただし、当時の真直は衛門佐従五位下兼左大舎人助相模介であり、その後も医学に関わる官職に任じられた記録が無いため、真直がなぜ医学書編纂に関与したのかは明らかでない。その後平城朝において、右大舎人助〔『日本後紀』大同3年5月28日条〕・右衛士佐〔『日本後紀』大同3年7月22日条〕・少納言〔『日本後紀』大同3年9月5日条〕・左近衛少将〔『日本後紀』大同4年2月13日条〕を歴任し、大同4年(809年)従五位上に昇叙された〔『日本後紀』大同4年6月9日条〕。 嵯峨朝の弘仁2年(811年)周防守に任じられ地方官に転ずるが〔『日本後紀』弘仁2年7月23日条〕、まもなく主殿頭兼豊後守と再び京官を務めた〔『日本後紀』弘仁2年10月11日条〕。その後、弘仁3年(812年)権左少弁〔『日本後紀』弘仁3年8月3日条〕、弘仁6年(815年)左少弁と弁官を歴任し〔『日本後紀』弘仁6年3月13日条〕、弘仁11年(820年)正五位下に至った〔『日本後紀』弘仁11年閏正月10日条〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安倍真直」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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