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安原政雄 : ミニ英和和英辞書
安原政雄[やすはら まさお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 
: [おす]
 【名詞】 1. male (animal) 

安原政雄 : ウィキペディア日本語版
安原政雄[やすはら まさお]
安原 政雄(やすはら まさお、明治43年(1910年)10月13日〔出典は、溝口敦『山口組ドキュメント 血と抗争』三一書房、1985年、ISBN 4-380-85236-9のP.289〕 - 没年不明)は、日本ヤクザ暴力団三代目山口組若頭(後に舎弟に直った)。安原会会長。通称マンマン。兄の安原武夫も三代目山口組七人衆の一人にかぞえられた。

==来歴==
兵庫県神戸市で鉄工所工員の四男として出生。尋常小学校卒業後に不良となり、兄の武夫と共々二代目山口組・山口登組長の元へ出入りするようになって、若衆となる。
昭和21年(1946年)に田岡一雄が山口組三代目を襲名すると、兄・武夫とともに田岡の舎弟となる。この時山口登の舎弟だった森川盛之助湊芳次が田岡の舎弟に直り、また、岡精義(後の山口組七人衆)〔昭和18年(1943年)、岡精義は、神戸港運株式会社を起こし、組長となっていた〕も田岡一雄の若衆(後に舎弟)になっている。また同年1月には小料理屋「鈴屋」で、山本健一(後の三代目山口組若頭)に盃を与え、自らの若衆としている〔媒酌人は鮎昇政吉。安原武夫、大平一雄(本名は松浦一雄。後の三代目山口組若頭補佐)、小田芳一小田吉一とも名乗った。後の山口組三代目若頭補佐)、山口登の若衆だった藤田仙太郎(元関脇山錦善治郎。本名は山田善治郎)が列席。なお後に山本が昭和32年(1957年)出所すると、田岡から直接盃を受け山本は直参に昇格する。〕。
昭和25年(1950年)に山田久一の跡を継ぎ若頭となるが、昭和30年(1955年)2月に武夫が田岡によって安原運輸の社長に据えられ、相前後して自らは若頭の職を地道組・地道行雄組長に譲って舎弟に直った。この頃、田岡の港湾事業は磐石なものとなり、山口組興行部のしのぎとともに、山口組が全国展開できるような経済力を持てるようになった。
昭和36年(1961年)5月に山本や美能幸三の仲介で広島市の打越会/打越信夫組長と兄弟盃を交わし、第二次広島抗争の切っ掛けを作る。昭和40年(1965年)からの山口組に対する第1次頂上作戦では、昭和41年(1966年)5月3日に兄・武夫が山口組の企業舎弟/青井照日出らとともに山口組から脱退し、自身も昭和42年(1967年)〔出典は、溝口敦『山口組ドキュメント 血と抗争』三一書房、1985年、ISBN 4-380-85236-9のP.289〕12月15日にヤクザからの引退を表明、安原会を解散した。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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