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安商守(あん・さんす)は、韓国における法曹出身の政治家である。2010年7月から2011年4月まで与党・ハンナラ党の代表最高委員(党首)を務めた。 == 略歴 == 1946年2月、韓国南東部の慶尚南道馬山府生まれ。馬山高等学校卒業後、ソウル大学校法科大学に進学。ソウル大学校に在学中、日韓基本条約反対デモや6・8不正選挙糾弾デモ〔1967年6月8日に行われた第7代総選挙において、政府と与党・民主共和党が行った大規模な不正選挙に抗議して行われたデモ。〕など学生運動に係わり、6・8不正選挙デモでは集示法違反で罰金刑を受けている。大学卒業後は夜間中学の教師、会社勤めをした後、司法考試に合格した。全州、大邱、馬山、春川地方検察庁の検事を務める。1985年3月からソウル地検に勤務、その2年後の1987年1月に発生した朴鍾哲拷問致死事件〔1987年1月、警察の取り調べを受けていた當時、ソウル大学言語学科の学生であった朴鍾哲が、警察官による拷問によって死亡した事件。〕の捜査に携わり、警察官による拷問の真相を明らかにした。その後自ら検事職を辞任した。検事辞任後は大韓弁護士会人権委員広報理事や京郷新聞論説委員の他、ソウル弁護士会人権委員長として当番弁護士制度の創設など、人権問題に積極的に関わった。また環境運動連合の指導委員や経済正義実践市民連合(経実連)の立法委員として市民運動にも携わった。 1996年4月の第15代総選挙で、当時の金泳三政権与党である新韓国党の公薦を得て果川市・義王市選挙区から出馬して当選を果たし、以後16代、17代、18代と連続4回当選している。この間、国会では、法制司法や財政経済、建設交通委員会などの委員、政治改革、障碍者、南北関係発展支援特別委員会委員、人事聴聞特別委員会、国勢調査特別委員会の委員を務めた。またハンナラ党では代弁人(スポークスマン)、人権委員長、院内代表など党の要職を務め、2010年7月14日の党大会で実施された党幹部選挙で新たな党代表(代表最高委員)に選出された〔ハンナラ党が党大会開催、新代表に安商守氏を選出 -2010年7月14日17時44分配信(連合ニュース)〕。しかしハンナラ党の退潮を止められず、2011年4月27日に投開票された国会議員補欠選挙などで敗北。翌4月28日に辞任を表明した。 2012年4月の総選挙にはセヌリ党(12年1月、ハンナラ党から党名改称)の公薦を得ることができず出馬しなかった。 :出所:安商守ホームページの「(歩んできた道) 」と、ハンナラ党ホームページ「「」(代表最高委員) 」に記載されている(学歴事項)と(主要経歴)を参照して作成。 2014年7月1日、慶尚南道昌原市長当選。(第22代昌原市長) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安商守」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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