翻訳と辞書
Words near each other
・ 安嘉門院三条
・ 安嘉門院四条
・ 安嘉門院甲斐
・ 安嘉門院高倉
・ 安四面銅鉱
・ 安図
・ 安図県
・ 安固
・ 安国
・ 安国 (南詔)
安国単于
・ 安国寺
・ 安国寺 (下野市)
・ 安国寺 (久留米市)
・ 安国寺 (加東市)
・ 安国寺 (国東市)
・ 安国寺 (壱岐市)
・ 安国寺 (福山市)
・ 安国寺 (綾部市)
・ 安国寺 (茅野市)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

安国単于 : ミニ英和和英辞書
安国単于[あんこくぜんう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くに]
 【名詞】 1. country 
: [ひとえ, たん]
 【名詞】 1. one layer 2. single 

安国単于 : ウィキペディア日本語版
安国単于[あんこくぜんう]
安国 単于(あんこくぜんう、拼音:Ānguó Chányú, ? - 94年)は、中国後漢時代の南匈奴単于伊伐於慮鞮単于の子、伊屠於閭鞮単于の弟。在位中に殺されたため単于号がなく、姓は虚連題氏、安国というのは名である。
== 生涯 ==
伊伐於慮鞮単于の子として生まれる。
章和2年(88年)、休蘭尸逐侯鞮単于が即位すると、安国は左賢王となる。安国はあまり評判が良くなく、左谷蠡王師子の方が勇敢で賢いので、いつも単于や漢の天子に厚遇されていた。そのため安国は師子を妬み殺そうと考えていた。また、新降者の諸人たちも師子に掠奪された恨みがあったので、安国は彼らとともに師子を殺す計画を立てた。
永元5年(93年)、休蘭尸逐侯鞮単于が薨去し、安国は単于となった。左賢王の師子は安国たちが謀をめぐらしていることを知ると、五原郡の縁辺に別居し、年三回開かれる龍会議事(匈奴の国会)にも病気と偽って参加しなくなった。さらに、度遼将軍皇甫棱が師子を擁護したため、単于安国はますます憤慨した。
永元6年(94年)、安国は以前より使匈奴中郎将杜崇と不和だったので、天子に上書して杜崇を告訴しようとした。しかし、杜崇はその書状を遮断させ、天子に届かないようにし、逆に行度遼将軍朱徽と共同で上書して、南単于を討つように促した。和帝はこれに従い、杜崇と朱徽の軍を南単于庭(南匈奴の本拠地)に派遣した。安国は漢軍が来たことに驚いて帳幕群を棄てて逃げた。安国は再度挙兵し師子を殺そうとしたが、師子は事前に察知して曼柏城に逃れた。安国は城下まで来たが、門が閉ざされており、入ることができなかった。そこで朱徽は両者を和解させるべく使者を送ったが、安国は聞き入れなかった。結局、城は落とせず安国は兵を引いて五原に駐屯した。その後、杜崇と朱徽は安国を急襲したので、部民は大いに恐れ、安国の舅である骨都侯喜為らは誅殺されたくないと思い、安国を殺した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「安国単于」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.