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安廣 一哉(やすひろ かずや、男性、1976年8月22日 - )は、日本の空手道選手、キックボクサー、正道会館東大和支部支部長、聖徳学園中学校・高等学校保健体育非常勤講師。北海道旭川市出身。正道会館所属。胴回し回転蹴りを得意とする。 == 来歴 == 北海道旭川工業高等学校在学中はバドミントン部に所属し、全国大会出場経験もある。高校卒業後、上京し日本体育大学体育学部に入学。 1999年9月26日、大学3年で、正道会館主催の第1回ウエイト制オープントーナメント全日本空手道選手権大会(軽量級)に出場。決勝で村尾健司を破り優勝を果たした。 2000年9月10日、正道会館の第2回ウエイト制オープントーナメント全日本空手道選手権大会(軽量級)に出場。決勝で宮野孝裕を破り2年連続で優勝を果たした。 2001年5月5日、第12回全日本新空手道選手権大会 中量級(75kg以下)に出場。決勝で永井次郎を破り優勝を果たした。 2002年2月11日、K-1初参戦となったK-1 WORLD MAX 2002 〜日本代表決定トーナメント〜の1回戦で後藤龍治と対戦し、2RKO負けを喫した。 2003年3月1日、K-1 WORLD MAX 2003 〜日本代表決定トーナメント〜の1回戦で小比類巻貴之に判定勝ちしたものの、準決勝で武田幸三に判定負け。 2004年7月7日、K-1 WORLD MAXで山本"KID"徳郁と、K-1ルールと総合格闘技ルールがラウンドごとに入れ替わるミックスルールで試合を行った。1Rで得意の右ストレートをヒットさせ、2Rではテイクダウンを奪われたのを逆手にとってグラウンドでのフロントチョークでKIDを苦しめたが、腕ひしぎ十字固めで一本負け。 2005年2月23日、K-1 WORLD MAX 2005 〜日本代表決定トーナメント〜の1回戦で小比類巻貴之と2年ぶりの再戦。あと一歩のところまで追い詰めたが、延長ラウンド1-2で判定負け(会場からブーイングが発生し、「疑惑の判定」と言われるほどの僅差であった)。 2006年2月4日、K-1 WORLD MAX 2006 〜日本代表決定トーナメント〜の1回戦でHAYATOと対戦するも、終始攻められ続け判定負けを喫した。 2006年8月5日、HERO'Sに初参戦し、ハニ・ヤヒーラと総合格闘技ルールで試合を行った。安廣にとってはKID戦以来2年ぶりの総合格闘技の試合であり、序盤にタックルを上手く切るなど総合格闘技への適応力を見せたものの、変型のチョークスリーパーで一本負け。 2006年9月4日、K-1 WORLD MAX 2006 〜世界王者対抗戦〜でアンディ・オロゴンと対戦、攻撃を的確に効かせ、判定勝ち。 2007年2月5日、K-1 WORLD MAX 2007 〜日本代表決定トーナメント〜のリザーブファイトでサトルヴァシコバと対戦し、判定勝ち。アンディ・オロゴンの怪我により、準決勝でTATSUJIと対戦するも判定負け。 2007年3月12日、HERO'S 2007 開幕戦で所英男と対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本負け。 2009年度より聖徳学園中学校・高等学校で保健体育の講師も務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安廣一哉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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