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安政八戸沖地震(あんせいはちのへおきじしん)は、江戸時代後期の安政3年7月23日(1856年8月23日)に八戸沖で発生した大地震である。 震度分布や津波襲来の様子が1968年十勝沖地震に酷似しており、1677年延宝八戸沖地震および1763年宝暦八戸沖地震と共に青森県東方沖(三陸沖北部)で繰り返し発生しているプレート境界型の固有地震と考えられている〔 三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価(第二版)について〕。 == 地震の記録 == 安政三年七月二十三日午刻(1856年8月23日12時頃)八戸を中心に東北地方北部太平洋側から北海道にかけて強震に見舞われた。陸奥では『蝦名日記』、『津軽藩日記』、および『柿崎日記』には12月頃まで余震が記録され、7月26日朝の余震はかなり強いものであったという。『維新前北海道変災年表』には7月19日頃から数回の地震を感じたとある〔武者金吉 (1951)『日本地震史料』毎日新聞社〕。 『八戸藩史稿』によれば最希有なる強震で八戸城が所々破損し、湊村は海嘯によって浸水し流家があったという。『津軽藩日記』には青森において強震で酒蔵など土蔵が潰れたとあり、また襟裳岬付近で山崩れが生じたが、全体として震害は少ない〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安政八戸沖地震」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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