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安斎桜磈子 : ミニ英和和英辞書
安斎桜磈子[こ, ね]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とき]
 【名詞】 1. meals exchanged by parishioners and priests 
: [さくら]
 【名詞】 1. (1) cherry blossom 2. cherry tree 3. (2) decoy 4. fake buyer 5. shill 6. (3) hired applauder 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

安斎桜磈子 ( リダイレクト:安斎桜かい子 ) : ウィキペディア日本語版
安斎桜かい子[あんざい おうかいし]

安斎桜磈子(あんざい おうかいし、1886年明治19年)2月7日 - 1953年昭和28年)12月12日)は、仙台藩(現:宮城県登米市登米町)出身の俳人本名は千里(ちさと)である。
== 生涯 ==
1886年(明治19年)2月7日、仙台藩に御機師の家柄に生まれ、高等小学校を卒業した後に家業を継いだ〔安斎桜磈子 - 美術人名辞典、2013年7月27日閲覧。〕。
安斎と同じく宮城県登米町出身の俳人菅原師竹に師事し、17歳頃より俳句を作り始める。
1904年(明治37年)頃に従来の五七五調の形にとらわれない新しい新傾向俳句に惹かれる。その後、俳人、随筆家河東碧梧桐が選者である新聞日本』の俳句欄に投句し〔『日本』の俳句欄の選者は元々は河東碧梧桐ではなく、正岡子規であったが1902年(明治35年)に没した後は河東が継いだ。〕、新傾向派の俳人として注目された〔安斎桜磈子とは - コトバンク、2013年7月27日閲覧。〕。
菅原と共に新傾向俳句を作り、一時期は新傾向俳句の重鎮として師竹・桜磈子時代と呼ばれ、東北俳壇で称された〔菅原師竹とは - コトバンク、2013年7月27日閲覧。〕。
1906年(明治39年)に河東選の句集『続春夏秋冬』や1909年明治42年)の河東選の句集『日本俳句鈔』に多数の安斎の俳句が選ばれ、『日本俳句鈔』では最高入選を果たした〔安斎桜子 句碑 、2013年7月27日閲覧。〕。
1911年(明治44年)に俳人荻原井泉水が主宰の新傾向俳句機関誌『層雲』の創刊に参加。また、1915年大正4年)に河東が主宰した自由律俳句雑誌海紅(かいこう)』の同人となり、総編集責任者である俳人中塚一碧楼を補佐した。
『層雲』や『海紅』の創刊後の作風は自由律俳句に転じた。
1915年(大正4年)に句集『閭門の章』を著す。また他に、俳論の随筆集『山に祈る』がある。
1953年(昭和28年)12月12日に67歳で没した。
1979年(昭和54年)に石工菊地瓦全他7人によって登米町寺池の大手前通りに菅原と共に句碑が建立された〔登米市登米町の句碑・歌碑 、2013年7月27日閲覧。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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