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山内 可氏(やまうち よしうじ、1571年(元亀2年) - 1629年12月21日(寛永6年11月7日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。土佐藩の家老。通称は太郎左衛門。初名は安藤可氏。父は美濃国本巣郡北方領主の安東郷氏。母は山内一豊の姉・通。妻は堀尾吉晴の養女。子は山内定氏。 == 生涯 == 1580年(天正8年)、父・郷氏は兄・安東友郷とともに織田信長に反旗を翻し、1581年(天正9年)6月に誅伐される。幼少の可氏は母とともに叔父聟の山内一豊を頼って本巣郡岩手に幽居する。1585年(天正13年)旧8月、一豊が再度近江長浜城主となると、長浜に赴いて扶助を受け、山内姓を拝する。 1601年(慶長6年)、関ヶ原の戦いの功績により一豊が土佐国を領すると、幡多郡宿毛に7000石を与えられて家老となる。 1629年(寛永6年)11月7日死去。なお、明治維新後、子孫は伊賀氏を称して男爵位を授けられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山内可氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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