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安永 聡太郎(やすなが そうたろう、1976年4月20日 - )は、山口県宇部市出身の元サッカー選手、現在はサッカー指導者・解説者。現役時代のポジションはFW。 == 来歴 == 清水商業高校時代には佐藤由紀彦らと共に、2年次に高校選手権、全日本ユースの二冠、3年次には高校総体、全日本ユースの二冠に貢献し、U-20日本代表に招集された。 卒業後の1995年にJリーグの横浜マリノスに入団、その年にJリーグ制覇を経験した。1997/98シーズンにはスペインのセグンダ・ディビシオンのUEリェイダ(ジェイダ、レリダ)にテスト入団を経て期限付き移籍し、34試合に出場し4得点を挙げた。 1999年には清水エスパルスに移籍金約9千万円で完全移籍。ゴール数は少なかったが、レギュラーとして活躍した。特に1999年Jリーグ2ndステージでは、2位の横浜FMとの直接対決になった第14節で決勝ゴールを決め、清水は初のステージ優勝を決めた。2001年シーズン途中にゼムノビッチ・ストラヴゴ監督の練習方針をマスコミを通して批判し、約1ヶ月間の謹慎処分を受けた後、残留争いに苦しんでいた横浜F・マリノスに移籍。2002/03シーズンには再びスペインセグンダ・ディビシオンのラシン・フェロルに期限付き移籍し、12試合に出場して1得点を挙げ、チームから高評価を得るが横浜FMのチーム復帰依頼により日本へ戻る。 2005年に柏レイソルに移籍したが、満足な活躍が出来ず同年限りで現役を引退した。 2006年10月29日には横浜FMでのチームメートだった柳想鐵との合同引退試合として「横浜F・マリノスOBチーム対静岡県連合スターズ」が開催された。これは「横浜F・マリノスみなとみらい21トレーニングセンター」(マリノスタウン)の開場記念試合ともなった。 引退後は2007年から日本サッカー協会が進めているJFAこころのプロジェクト(ユメセン)の専属講師として日本全国の小学校などでサッカー教室を開催しながら、衛星テレビ放送のWOWOWで放映されるリーガ・エスパニョーラ(スペイン1部リーグ)の試合中継やダイジェスト番組で解説者を務めている。2016年4月、脳性麻痺7人制サッカー(CPサッカー)日本代表監督に就任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安永聡太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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