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安田 伊佐夫(やすだ いさお、1944年11月22日 - 2009年3月20日)は日本中央競馬会 (JRA) の調教師。宮崎県出身。栗東トレーニングセンター所属。息子である安田康彦は元騎手で現在は競馬評論家である。 == 来歴 == 1961年、武田文吾厩舎の見習騎手となり1963年に同厩舎から騎手デビューした。宮崎から出てくるときは同郷であり同世代の大崎昭一と同じ電車に乗っていた。 騎手時代の成績は通算2983戦342勝。1970年に皐月賞・東京優駿(日本ダービー)を制したタニノムーティエでの騎乗は騎手生活の最大のハイライトと言えるであろう。 1979年に騎手を引退し、調教師免許を取得。翌1980年に厩舎開業。初出走は同年10月11日・阪神競馬第9競走ゴルジー(9着)。初勝利は同年10月26日・福島競馬第2競走チャレンジアゲンである。1985年にライフタテヤマでシンザン記念を制覇し、調教師として重賞初制覇。GIには長く縁がなかったが、メイショウドトウで2001年に宝塚記念を制覇した。 リーディング争いの面では1994年の30勝(全国リーディング14位)が最高であったが、ほぼ毎年コンスタントにオープン馬・重賞馬を送り出している調教師であった。 2008年は2000年以来8年ぶりに20勝を越え、重賞もヴァンクルタテヤマのプロキオンステークス制覇をはじめダートグレード競走を4勝。メイショウトウコンがジャパンカップダートでカネヒキリから僅差の2着に入るなど、存在感を見せた。 子息の康彦が厩舎の主戦騎手であったが、彼の引退後は武幸四郎への依頼が比較的多かった。その後はベテランから新人まで幅広く依頼していた。なお、武の騎手デビュー初戦のメイショウユリヒメは伊佐夫の管理馬であった。 馬主では「メイショウ」の松本好雄や「タテヤマ」の辻幸雄らの管理馬が多かった。ちなみに「サンライズ」の(株)松岡の馬も数多く管理し活躍馬も多かったが2001年にすべての馬が他厩舎へ転厩するという事態が起こり、それ以降は一頭も管理することはなかった(サンライズペガサスがこのうちの1頭である)。 2009年3月20日に死去。厩舎の管理馬は兄弟子の武田博厩舎へ移籍となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安田伊佐夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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