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安田 善三郎(やすだ ぜんざぶろう、1870年11月3日(明治3年10月10日) - 1930年(昭和5年)1月9日)は、日本の実業家、政治家。実業家伊臣忠一の子で、安田善次郎の婿養子。安田財閥を指導し、様々な企業の重役を務めた。高学歴の人材登用など財閥の近代化を図ったが、善次郎と対立し離縁される。貴族院議員。オノ・ヨーコの祖父。 == 経歴 == 1870年(明治3年)10月10日生まれ。宇和島藩士伊臣忠一の子で、旧名を伊臣貞太郎という〔。1892年、東京帝国大学法学部卒業後、安田製釘所に入社〔。1895年、安田財閥総帥安田善次郎の次女・暉子と結婚(媒酌人は穂積陳重)。同時に善次郎の養嗣子となる〔。 明治商業銀行、京都銀行、安田商事、安田銀行、第三銀行などの監督、大垣共立銀行、帝国製麻の社長、百三十銀行、日本商業銀行などの頭取、信濃銀行取締頭取、東京火災海上運送保険、東京建物、横浜電気鉄道などの取締役、鐘淵紡績、共済生命保険、水戸鉄道、肥後銀行などの監査役を務めた〔。また、韓国銀行、朝鮮殖産銀行の設立委員、経済調査会委員、東京商業会議所議員などに任命されている〔。 また、東京府多額納税者として1914年(大正3年)3月2日より〔『官報』第476号、大正3年3月3日。〕貴族院議員に3回互選されている〔。 妻の父親である安田善次郎の家督を継ぎ2代目となったが、安田一族と善次郎との確執から1919年に安田家から離縁され、善三郎一家は横綱の安田邸を出て鎌倉に転居した〔人と組織のフレキシビリティ』 橘川武郎, 島田昌和、有斐閣, 2008〕〔永滝久吉著、昭和10〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安田善三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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