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安田 義資(やすだ よしすけ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将、鎌倉御家人。甲斐源氏の一族で、父は安田義定。 == 生涯 == 安田義定の嫡男として生まれる。文治元年(1185年)8月29日、源頼朝の命で越後名国司となる。翌30日は従五位下に叙位された。文治5年(1189年)7月から始まる奥州合戦に従い、軍功を挙げた。 建久元年(1190年)11月には源頼朝の上洛に従って入京した。しかし、建久4年(1193年)11月27日の永福寺薬師寺堂供養の際に、女房に艶書を届けたとの科で、梶原景時の讒言に遭い、翌28日、源頼朝の命を受けた加藤景廉によって殺害され、鎌倉にて梟首されたという(『吾妻鏡』)。 同様に女房に艶書を送っていた北条義時は処罰されることもなく、逆に源頼朝の仲介でその女房(姫の前)と結婚している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安田義資」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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