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安田裕信 : ミニ英和和英辞書
安田裕信[やすだ ひろのぶ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 

安田裕信 : ウィキペディア日本語版
安田裕信[やすだ ひろのぶ]
安田 裕信(やすだ ひろのぶ、1983年11月11日 - )は、滋賀県出身のレーシングドライバー
== プロフィール ==

*身長:168cm
*体重:57kg
*血液型:Rh+O型
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レーシングカートで実績を積み重ね、2002年には、鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラクラス(SRS-F)に入校しスカラシップを獲得した。2003年フォーミュラ・ドリーム(FD)で4輪レースにデビューし、シリーズ2位。2004年も同シリーズに挑戦しシリーズ2位となった。翌2005年ヨーロッパのカートレースを戦うために渡欧し、世界選手権・ヨーロッパ選手権・イタリア選手権を転戦した。
留学を終え、2006年は国内に戦場を求めることになるのだが、彼に一大転機が訪れる。ミドル・フォーミュラの一つであるFDが廃止となり、トヨタ日産ホンダの3社が後援する〔運営主体は日本レースプロモーション:略称JRP〕フォーミュラチャレンジ・ジャパン(FCJ)が創設されたのであるが、彼が帰国した時点においてホンダの推薦シートは埋まっており、フォーミュラカーのシートを失う恐れが出て来たのである。そこで安田はニッサン・ドライバー・デベロップメント・プログラム(NDDP)〔日産自動車が主催する若手ドライバー育成プログラム〕に応募し合格。NDDPドライバーとしてFCJに参戦し、シリーズ3位・4勝(最多勝)の好成績を収めF3へのスカラシップを獲得した。
2007年はThreeBond Racingから全日本F3選手権へ参戦した。リタイヤ回数は1度だけに止まったものの、最高位は4位に終わり、シリーズ成績も8位と低迷した。2008年も引き続き同様の体制で全日本F3選手権へ継続参戦し、第5戦鈴鹿と第8戦もてぎとで優勝しシリーズ4位になった。翌2009年も引き続き同様の体制で全日本F3選手権へ継続参戦したが、第4戦岡山での1勝にとどまり、シリーズ5位と伸び悩んだ。
一方、いわゆる「ハコ」クラスのカテゴリーには、2004年からスポット参戦も含めてスーパー耐久シリーズに挑戦し、2007年にはArabianOasis Racingからエントリーした。
さらに、2006年にはSUPER GT・GT300クラスにMOLAから長島正興と組んでフル参戦を果たした(シリーズ20位・決勝最高位6位)。2007年の第6戦ポッカ1000kmにおいては、GT500クラスの23号車(XANAVI NISMO Z本山哲リチャード・ライアン組)の第3ドライバーとして出場し、決勝では3位の成績を残した。2008年はGT300クラスにMOLAから星野一樹と参戦し、第6戦ポッカ1000kmで勝利し、シリーズチャンピオンを獲得した。2009年にはHASEMI MOTOR SPORTからGT500クラスに参戦。第4戦セパンで優勝した。翌2010年KONDO Racingに移籍し、開幕戦鈴鹿において荒れたコンディションの中タイヤ無交換作戦で優勝を果たした。
なお、CIK-FIAアジア・パシフィック・カート選手権において、複数回優勝した日本人は安田裕信ただ一人である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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