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安藤信昭 : ミニ英和和英辞書
安藤信昭[あんどう のぶあき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 

安藤信昭 : ウィキペディア日本語版
安藤信昭[あんどう のぶあき]

安藤 信昭(あんどう のぶあき、1890年明治23年)3月2日 - 1976年昭和51年)12月16日)は、日本華族子爵)、貴族院議員。旧磐城平藩安藤家15代目当主。有馬頼寧は実兄。
== 生涯 ==
伯爵有馬頼万(筑後久留米藩主家当主)の次男として東京に生まれる。初名は有馬頼篤。
子爵安藤信篤磐城平藩主家当主)の養子となり、1915年(大正4年)7月、信篤から家督を譲られて家督を継承した。同年、皇族・閑院宮載仁親王の第1王女である恭子女王(ゆきこじょおう)と結婚した。
1915年(大正4年)、東京府立園芸学校(現:東京都立園芸高等学校)を卒業。1921年(大正10年)に侍従補となり、以後、侍従や式部官を歴任。昭和天皇の即位の礼に際して大礼使典儀官も務めた。1932年(昭和7年)に貴族院議員(子爵議員)となり研究会に所属、1947年(昭和22年)の貴族院廃止まで議員を務めた。また、横浜生命保険会社の取締役も務めている。
実兄の有馬頼寧とともに、草創期の日本プロ野球に深く関わった。1936年1月17日、有馬頼寧と協力し、旧・西武鉄道(現在の西武鉄道とは別会社)を運営母体としてプロ野球チームの東京セネタースを結成、頼寧がオーナー、信昭が理事長となる。同年2月5日結成された社団法人日本職業野球連盟(後の日本野球機構)では、初代副総裁のひとり〔総裁は大隈信常(大隈重信の養子)、もうひとりの副総裁に松方正雄(松方正義の子)。〕に就任している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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