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安藤 則命(あんどう そくめい〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』89頁。〕 / のりみち〔『明治維新人名辞典』50頁。〕、1828年4月19日(文政11年3月6日〔「職務進退・元老院 勅奏任官履歴原書 安藤則命」〕) - 1909年(明治42年)11月23日〔〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』89頁では「11月24日」。〕)は、幕末の薩摩藩士、明治期の警察官僚・政治家。元老院議官、貴族院勅選議員、錦鶏間祗候。通称・十郎〔。 ==経歴== 薩摩国鹿児島城下で薩摩藩士・安藤十郎の息子として生まれる〔『明治過去帳』新訂初版、1139頁。〕。英学を修めて子弟に教授した〔。 明治維新後、新政府に出仕し、明治元年10月2日(1868年11月15日)東京府市中取締隊長に就任〔『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』524-529頁。〕。以後、東京府監察、同大属、兼同第二大区総長、同第一大区総長、同権典事、同典事、同邏卒総長、警保助、司法中検事、権大警視、大警視、中警視、権中警視などを歴任〔。西南戦争に際し、新撰旅団の編成に尽力した〔〔。1879年、藤田組贋札事件を担当したが、積極的な捜査を行おうとして当局の忌避に触れ、同年12月27日、免本官、位記返上を命ぜられた〔〔〔。 1882年6月21日、司法大書記官として復帰〔。以後、第十局副長、検察局詰などを務めた〔。1884年12月4日、元老院議官に就任〔。1890年9月29日、貴族院勅選議員に任じられ、同年10月20日、元老院が廃止され非職となり錦鶏間祗候を仰せ付けられた〔。1909年11月、貴族院議員在任中に病のため死去した〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安藤則命」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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