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安藤 右衛門佐(あんどう うえもんのすけ、生年不明 - 元亀元年11月26日(1570年12月23日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。諱は不明。父は安藤守就。兄に定治、姉妹に竹中重治正室、遠藤慶隆正室など。 == 生涯 == 美濃斎藤氏の有力家臣であった西美濃三人衆の一人、安藤守就の二男として誕生〔『兼見卿記』〕。 永禄10年(1567年)、父が尾張国の織田氏へ内応するとこれに従った。元亀元年(1570年)6月28日の姉川の戦いでは守就の軍に従い奮戦した〔『甫庵太閤記』〕。 同年9月16日から発生した志賀の陣に参陣。11月25日坂井政尚・桑原平兵衛と共に堅田の猪飼昇貞・居初又次郎・馬場孫次郎らの降参を仲介し、猪飼達から人質を取って堅田の守備に入った〔『信長公記』〕。だが11月26日には朝倉景鏡・前波景当など朝倉軍が堅田に攻め寄せ、坂井・桑原と共に抵抗したが討ち死にした〔『朝倉記』〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安藤右衛門佐」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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