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安藤 義季(あんどう よしすえ、生年不明 - 享徳2年(1453年))は、室町時代の武将。陸奥、蝦夷地の豪族。檜山系安藤氏(のち安東氏)の第3代当主。名字は下国とも称した。父は安藤康季。本姓は安倍。 安藤氏は陸奥津軽十三湊付近を根拠とし、蝦夷地との交易を中心とした海上交通に従事する海の豪族であったが、『満済准后日記』によれば永享4年(1432年)、松前藩史である『新羅之記録』によれば嘉吉3年(1443年)、南部義政に攻撃され、父康季と共に蝦夷地へ退転したと伝えられている。近年の有力説では、永享4年(1432年)の敗戦後に幕府の仲裁により和睦が図られ、康季らは十三湊に戻り永享12年(1440年)康季の妹を南部義政に嫁したが、嘉吉2年(1442年)再度攻撃された翌年に蝦夷地に逃れたと見られており、十三湊の発掘結果等からも支持されている。 義季は津軽奪還を目指した父康季と共に、文安2年(1445年)に津軽西浜に上陸したが、康季は引根城で病死し、義季も宝徳3年(1451年)、津軽鼻和郡大浦郷(現・弘前市)に狼倉舘(おいのくらたて)(高館城)を築き兵を挙げたが、享徳2年10月9日(1453年11月9日)南部氏との戦いに敗れ自害。下国家直系は断絶し、又従兄弟である政季が下国家を継いだ。 == 参考文献 == * 青森県市浦村編 『中世十三湊の世界』 新人物往来社、2004年、ISBN 4404032218 * 小口雅史編 『津軽安藤氏と北方世界』 河出書房新社、1995年、ISBN 4309222706 * 小口雅史ほか 『新版県史 青森県の歴史』 山川出版社、2000年、ISBN 4634320207 * 海保嶺夫 『エゾの歴史』 講談社、1996年、ISBN 4062580691 * 国立歴史民俗博物館編 『中世都市十三湊と安藤氏』 新人物往来社、1994年、ISBN 4404021518 * 渋谷鉄五郎 『秋田「安東氏」研究ノート』 無明舎出版、1988年、ISBN 4895442039 * 田端宏・桑原真人・船津功・関口明 『新版県史 北海道の歴史』 山川出版社、2000年、ISBN 463432010X * 村井章介・斉藤利男・小口雅史編 『北の環日本海世界』 山川出版社、2002年、ISBN 4634605309 * 森山嘉蔵 『安東氏―下国家400年ものがたり』 無明舎出版、2006年、ISBN 4895444244 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安藤義季」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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