翻訳と辞書
Words near each other
・ 安達謙藏
・ 安達貞至
・ 安達貴英
・ 安達遙
・ 安達郡
・ 安達銀行
・ 安達長景
・ 安達長泰
・ 安達阿記子
・ 安達雅哉
安達頼景
・ 安達顕盛
・ 安達顕高
・ 安達駅
・ 安達駅 (黒龍江省)
・ 安達高景
・ 安達高校
・ 安達高等学校
・ 安達麗
・ 安遠


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

安達頼景 : ミニ英和和英辞書
安達頼景[あだち よりかげ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たち, たっし]
  1. (n-suf) plural suffix 

安達頼景 : ウィキペディア日本語版
安達頼景[あだち よりかげ]

安達 頼景(あだち よりかげ)は、鎌倉時代中期の鎌倉幕府御家人安達氏の一族で、安達義景の次男。安達泰盛の兄。
==経歴==
頼景の2歳年下の弟泰盛が、当初から安達氏の嫡男が継承する「九郎」を名乗っている事から、頼景は庶兄であったと思われる。
建長4年(1252年)、宗尊親王鎌倉入りを朝廷に伝える使者を務め、翌建長5年(1253年)に25歳で泰盛と共に幕府の引付衆となる。この年の6月に父義景が死去している。正嘉1257年)には丹後となり、安達氏の家督である秋田城介の継承候補からは外されている。
弘長3年(1263年)、宗尊親王と深い繋がりがあり、後藤基政と共に六波羅探題評定衆に転出。同年11月の北条時頼の死去に伴い出家。文永9年(1272年)の二月騒動に連座して関東に召し出され、所領二ヵ所を没収された。
弘安8年(1285年)の霜月騒動で安達一族が滅ぼされたが、頼景は泰盛に属さなかったのか難を逃れている。正応5年(1292年)、64歳で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「安達頼景」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.