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宋堯讃 : ウィキペディア日本語版
宋堯讃[そん よちゃん]

宋 堯讃(ソン・ヨチャン、)は大韓民国軍人政治家
朝鮮戦争では首都師団を指揮し、韓国軍の猛将として知られた。休戦後は参謀総長を務めた。4月革命の時、戒厳司令官であったが学生に対して好意的中立を保ったため李承晩政権崩壊の決め手となった。
== 人物 ==
1918年2月13日、忠清南道青陽で生まれる。大田中学校を卒業。日本軍に志願(2期)。最終階級は准尉。
1946年4月25日付で軍事英語学校を卒業、任少尉(軍番10096番)。第5連隊の創設に参加し、同連隊A中隊(中隊長:白善燁中尉)小隊長。中隊長を歴任。同年9月、朴炳権中尉らと共に江陵の第8連隊に派遣され、同連隊の編成を援助した。
1947年3月、第8連隊第3大隊長。1948年6月、第11連隊副連隊長。1948年7月、第9連隊長(少佐)となり済州島のゲリラ討伐に従事。焦土作戦を実施し住民に多大な被害をもたらした(済州島四・三事件)。
1949年5月、東海岸の第10連隊長。この時、38度線紛争が多発し第9連隊の正面でも襄陽の遊撃隊訓練所を卒業したゲリラが越境して警察を襲うことが多くなり、耐えかねた宋連隊長は処罰を覚悟の上で訓練所の粉砕を決意し、上官に具申せず極秘裏に第1大隊に攻撃を命令した。この北侵事件で宋は解任された。同年9月、第15連隊長。
1950年4月、憲兵司令官。朝鮮戦争勃発時、韓国銀行から金塊を収集することに成功。ソウル陥落後、憲兵を陣頭指揮して落伍兵を収容。1950年8月、大邱防衛司令官。
1950年9月1日、首都師団長慶州で北朝鮮軍の攻勢を阻止した。その後の北進作戦や中国人民志願軍参戦後の東海岸の戦闘を指揮した。
1952年7月、西南地区戦闘司令部(同年8月、南部地区警備司令部に改称)司令官、任少将。同年10月、首都師団長。
アメリカ陸軍指揮幕僚大学留学待機中の1953年7月に第8師団長に任命。金城の戦いで指形稜線と690高地を奪還した。休戦後、アメリカ陸軍指揮幕僚大学に留学。帰国して、1954年8月、第3軍団長に任命。同年9月、中将に昇進。
1957年5月、第1軍司令官。
1959年2月、参謀総長。
1960年、戒厳司令官。同年5月、予備役編入後、ジョージ・ワシントン大学に留学。
1961年6月、国家再建最高会議企画委員長兼国防部長官。同年7月、外務部長官
1968年、自民党から1963年大統領選挙に出馬したが途中辞退。
1970年、仁川製鉄会社社長。
1980年、死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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