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宋 神道(ソン・シンド、1922年11月24日 - )は宮城県に在住していた在日韓国人女性。生活保護受給者として日本の宮城県で生活していたが、1992年1月に日本政府を糾弾する元従軍慰安婦を公募する市民団体に連絡し、元「従軍慰安婦」としての活動を開始する。翌年には市民団体と「在日の慰安婦裁判を支える会」を発足し、日本政府に謝罪と損害賠償767億5893万7500円の支払いを求めて訴訟(在日韓国人元従軍慰安婦謝罪・補償請求事件)を開始する〔在日の慰安婦裁判を支える会とは 「「慰安婦」(多数回の強かん)にされたこと、戦地で生命の危険にさらされたこと、戦後の国会答弁などによる名誉毀損、などなど...、あえて計算したところ、合わせて、なんと、767億5,893万7,500円!もの額になりました。しかしこれでは裁判の請求額としては大きすぎます。(1)の767億円の一部請求としての1億2千万円を、謝罪に追加して請求しました(1995年 第7回口頭弁論)。」〕が2008年に全面敗訴した。(ただし、1938年から1945年まで宋が慰安婦であったことは認定された。)この活動が認められて1997年12月に第9回多田謡子反権力人権賞を受賞した。 == 概要 == 本人の証言によれば、1922年、朝鮮の忠清南道で生まれるが、12歳の時に父親と死別。1938年、16歳の時に母親の決めた男性と婚礼をあげたが、結婚生活に嫌気がさして、嫁ぎ先から逃げ出して友人宅などを転々とする日々を過ごしていたところ、大田で知人の朝鮮人女性に「嫁になど行かなくても、戦地に行って働けば金になり、一人で生きて行ける。戦地へ行って御国のために働かないか」と話を持ちかけられ、戦地の意味も仕事の内容も分からないまま平壌に向かった〔証言 未来への記憶 アジア『慰安婦』証言集Ⅰ」P.45 "大田(テジョン)で、四十二、三ぐらいのばあさんが、無理して嫁御に行く必要ない、戦地さ行けば国のために働くにもいいし、とにかく結婚なんかしなくてもよし、心配ないと。なんだとかかんだとかうまいこと言ったから、その口車に乗ってそのババアにくっついて行ったわけだ。国のためって言われても分からないから。戦地と言っても分からないから。手任し足任せ。今考えたら、それが「慰安婦」になるってことだったんだよね"〕ところ、新義州の紹介所と言われる場所で高(コウ)という朝鮮人男性の仲介で慰安所に入ったが、この際の代金が宋の借金とされたため、宗は「騙された」として、日本に謝罪を求めている。 宋の証言によれば、慰安婦としての生活は、日本人からの暴行により聴覚を失い、死産を繰り返し〔第9回アジア連帯会議報告 〕、出産して生まれた子供も中国人に渡して中国の戦地を転々としながら終戦を迎えた。戦後は故郷に帰らずに、日本に入国し(本人によれば、日本人男性から結婚を持ちかけられて来日したが、博多で逃げられてしまったため、そのまま日本に住んでいるとのこと)、宮城県に移住して在日韓国人男性と1982年まで同居生活をしていた。 2011年に東日本大震災で被災したため、現在は韓国挺身隊問題対策協議会の保護を受け東京で生活しながら、日本に謝罪と賠償を求める日々を過ごしている〔韓統連大阪ホームページ "東日本大震災 宋神道ハルモニ 生存確認" 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宋神道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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