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宋 隠(そう いん、生没年不詳)は、中国の後燕から北魏にかけての政治家。字は処黙。本貫は西河郡介休県。 == 経歴 == 前燕の尚書・徐州刺史の宋恭の子として生まれた。後燕の慕容垂に仕え、尚書郎・太子中舎人・本州別駕を歴任した。北魏の道武帝が中山を平定すると、宋隠は尚書吏部郎に任ぜられた。道武帝が北に帰ると、宋隠は本官のまま衛王拓跋儀が中山に駐屯するのを補佐した。まもなく行台右丞に転じた。たびたび老いと病いを理由に引退を願い出たが、道武帝は許さなかった。母が死去すると、服喪を理由に故郷に帰った。母を葬ると、召喚されたが、病を理由に固辞した。州郡がしつこく出仕を求めてきたため、宋隠は妻子を捨てて逃亡した。数年後に死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宋隠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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