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完器講 : ミニ英和和英辞書
完器講[かんきこう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かん]
 【名詞】 1. The End (book, film, etc.) 2. Finis
: [うつわ]
 【名詞】 1. (1) bowl 2. vessel 3. container 4. (2) ability 5. capacity 6. calibre 7. caliber 

完器講 : ウィキペディア日本語版
完器講[かんきこう]

完器講(完器講)は、富士大石寺から分かれた日蓮仏教宗派。
江戸末期、堅樹院日好の流儀を信ずる一派が起こした講である。
堅樹院日好は、江戸時代後期の明和9年(1772年)に日蓮宗日朗門流から富士大石寺に帰伏したが、まもなく大石寺批判を重ねるようになった。日好の教義の要点は
「大石寺は折伏をせずして、自行の研鑽に明け暮れているので法水が濁っている」
四箇の格言を妙法と一緒に唱えることが大事である」
「我こそ大聖人・日興上人の正統である」
「御本尊は折伏を行ずる者の胸中にある」との「己心本尊説」
との4点であった。
このような布教が明和七年(1770年)、江戸幕府の「自讃毀他の説法御停止」の法令違反として、幕府の取り締まりの対象となり、主導者であった日好は37才で投獄・流罪に処せられる。
はじめは三宅島に、次いで利島に流されて在島38年の後、文化9年(1812年)に74歳で死去。
その後、堅樹日好の教義は、日好門下の臨導日報が受け継ぎ、勢洲亀山藩(三重県亀山市)の後藤増十郎とその妻つき(妙聴)が中心となり、江戸に完器講を作り、堅樹流をひろめた。
彼らも日好と同じく、四箇の格言を強く唱え、また大石寺を弱腰なりと攻撃した。しかし、嘉永元年(1848年)4月、日好と同じく江戸幕府の『自讃毀他禁止』の法令により捕らえられ、増十郎もまた三宅島に遠島流罪。明治3年(1870年)に赦免されたが間もなく死去。死後は妻・妙聴が中心となって、信徒も、東京でふえ「完器講」は勢力を広げた。
これに対して日蓮正宗大石寺52世鈴木日霑が「異流義摧破抄」を著して反撃。
これに日報が「聖語明鏡顕魔論」を著して反論。
さらに鈴木日霑が「叱狗抄」を著して再反論。
日報はその後、1873年(明治6年)に死去。
この日報の門下にした佐野広謙(妙寿日成尼)と富士本智境(日奘)の二人の僧侶が、日報の死去後、明治8年(1875年)に大石寺の隠居法主・鈴木日霑へ帰伏。
佐野広謙(妙寿日成尼)・富士本智境(日奘)の二人が完器講の人たちに大石寺帰伏を説いて廻り、これによって、完器講の人たちが徐々に大石寺に帰伏。
その結果、完器講は、堅樹日好から百数十年を経た明治中頃に消滅している。
その後、佐野広謙(妙寿日成尼)の門下からは、日蓮正宗大石寺59世堀日亨、日蓮正宗大石寺62世鈴木日恭の二人の法主が出ている。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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