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宗 道臣(そう どうしん、1911年(明治44年)2月10日 - 1980年(昭和55年)5月12日)は、日本の武道家、思想家。日本の武道の一つである少林寺拳法の創始者である。姓名は中野理男(なかのみちお)〔宗由貴『「強さ」とは何か。』2012年、文春新書、27ページ。〕、中野道臣(なかのみちおみ)を経て宗 道臣を名乗るようになった。少林寺拳法を通じて、日本の将来を担う青少年育成を目指した教育家でもあった。 == 経歴 == 現在の岡山県美作市で1911年(明治44年)に生まれる。幼い頃に両親を亡くした為に、剣術家・柔術家でもあった祖父・宗重遠を頼って当時の満州へ移住。柔道、柔術(不遷流)、剣道などを既に学んでおり、満州及び中国各地では日本軍の情報工作員のような任務をしながら中国武術の達人達から技術を学ぶ。当時の中国は武術訓練が規制されており(義和団の乱の影響という)、武術家達は各地で隠遁生活を余儀なくされていた。そのため弟子はおろか跡継ぎすらいない武術家もおり、自ら望んで学びに来る宗には喜んで指導をしたという〔『秘伝少林寺拳法』(光文社カッパ・ブックス、1963年)〕。 その後太平洋戦争直後の1947年(昭和22年)10月満州から帰国するが、自分の事しか考える余裕のない日本人の姿を見て心を痛める。若者達に他人を思いやる心を持ってもらおうと、同年10月25日に香川県仲多度郡多度津町で禅の精神修養と護身を旨とする拳法の流派および宗教団体たる少林寺拳法を創始する。この時に名を「みちおみ」から「どうしん」と改めた。宗教団体としての発足には、当時GHQが武道を禁止していたため、禁令を回避するという側面もあった。少林寺拳法は別派を認めない世界で唯一の宗教団体及び武道団体として結束力が強い。中国の少林拳と混同されやすいが、全く別の武術である。 「日本古来からの武道精神を軸とする」という面で笹川良一や皇族の三笠宮崇仁親王から関心を得て生涯親交が深かった。また政界でも江崎真澄との親交を持ち、息子の鐵磨を秘書に迎えていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宗道臣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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