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官庁集中計画(かんちょうしゅうちゅうけいかく)とは明治時代の首都計画である。議事堂や官庁などを霞が関付近に集中し、パリやベルリンに並ぶ華麗なバロック都市を建設しようとした。計画の中心者井上馨の失脚により挫折した。 == 経緯 == 外務大臣井上馨は、条約改正を進めるため、鹿鳴館外交と呼ばれる欧化政策を採り、その一環として壮大な首都建設を構想した〔『明治の東京計画』1990年版 264-265頁。〕。こうして、1886年(明治19年)、内閣に臨時建築局を設置し、井上が総裁に、三島通庸が副総裁(警視総監兼務)に、また、ドイツ帰りの建築家・松崎万長が工事部長に就任した。そしてドイツの建築家ヘルマン・エンデとヴィルヘルム・ベックマンに都市計画及び主要建造物の設計を依頼。同年、ベックマンらドイツ人技師が来日し、一方、日本からは建築家の渡辺譲、妻木頼黄、河合浩蔵及び職人たちがドイツに留学した〔『明治の東京計画』1990年版 267-271頁。〕。 来日したベックマンは、築地から霞が関に都市の中心軸を置き、中央駅、劇場、博覧会場、官庁街、新宮殿、国会議事堂などを配する壮大な都市計画を立てた(国会議事堂の位置は現在と同じ)。しかし、この計画は財政上とうてい実現困難なものであった。次いで、ベックマンの推薦で東京の水道計画の技術顧問としてホープレヒトが招かれるが、来日早々ホープレヒトはベックマンの計画案を大幅に縮小した。その後、エンデが来日して縮小案に基づき、計画案を修正した〔『明治の東京計画』1990年版 279-284頁。〕。 やがて井上が条約改正に失敗し、外務大臣を辞任(1887年)したため、官庁集中計画そのものが頓挫することになった。臨時建築局は内務省に移管され、ドイツへの留学生は帰国を命じられた。エンデ・ベックマンへの依頼内容は、議事堂、大審院、司法省の3棟の設計のみと限定された。1890年には臨時建築局廃止に伴い事業が内務省土木局に移管、エンデ・ベックマンに契約解除が通告された〔『明治の東京計画』1990年版 284-290頁。〕。 結局、議事堂は木造2階建の仮建築で実施することが決まり、第1回帝国議会開会の1890年に竣工した(国会議事堂参照)。また、エンデ・ベックマンの設計に基づく大審院と司法省は1895年に完成した(海軍省はジョサイア・コンドルの設計により1890年着工、1894年に竣工した)。 == 官庁集中計画の遺構 == *1945年、戦災で大審院と司法省の屋根・内部が焼失した(戦後に修復)。 *1976年、最高裁判所(旧大審院)が取り壊された。 *1994年、法務省(旧司法省)を修復し、当初の姿に復元。重要文化財に指定された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「官庁集中計画」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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