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宝寿寺(ほうじゅじ)は、愛媛県西条市小松町にある高野山真言宗の寺院。天養山(てんようざん)、観音院(かんおんいん)と号す。本尊は十一面観世音菩薩。四国八十八箇所霊場の第六十二番札所。 本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか ご詠歌:さみだれの あとに出でたる 玉の井は 白坪なるや 一の宮川 == 縁起と歴史 == 寺伝によれば聖武天皇の勅願によって天平年間(729年 - 748年)に、道慈律師によって建立され金剛宝寺と名付けられた。大同年間(806年 - 810年)に空海(弘法大師)が逗留し光明皇后を模写した十一面観世音菩薩像を刻んで本尊とし、現在の寺名に改めたという。〔橋本 徹馬 四国遍路記 紫雲荘出版部(1956)西村 望 四国遍路 - 八十八カ所霊場めぐり 徳間書店 (1987/10)〕 この頃国司だった越智氏の夫人が難産で弘法大師に祈念を頼んだ。大師は宝寿寺境内の玉ノ井の水を加持し越智夫人に与えたところ、夫人は玉のような男子を無事出産した。これにより本尊は安産の観音として信仰を集めている。〔巡るめく四国 公式観光ガイド.渡辺照宏 お大師さま青山書院; 改訂新版 (2000/04)〕 天正13年(1585年)豊臣秀吉の戦禍によって荒廃。寛永13年(1636年)宥伝上人によって現在地付近に移されて再興。 明治初期の廃仏毀釈によって廃寺となった。大石龍遍上人によって明治10年(1877年)に再興された。大正10年(1921年)予讃線工事に伴い現在の地に移転した。〔橋本 徹馬 四国遍路記 紫雲荘出版部(1956)西村 望 四国遍路 - 八十八カ所霊場めぐり 徳間書店 (1987/10)〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宝寿寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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