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室谷 信雄(むろや のぶお、1946年2月11日 - )は、元喜劇役者、タレントで現在は会社員。大阪府泉佐野市出身。吉本興業に所属して、1970年代から1980年代前半活躍した。 ==来歴・人物== ===芸能活動時代=== 泉佐野市立長南中学校、浪速高等学校卒業後、1964年6月に吉本興業に入り、白木みのる、ルーキー新一に師事する。付き人生活を終えて、吉本新喜劇に入団。やがて、木村進、間寛平らが新喜劇に入団し、若手の活躍が増えると共に室谷も、次第に薄くなってきた髪の毛のネタで脚光を浴びる。1980年頃から木村進、間寛平と共に新喜劇の主役として出演した。1982年には座長に昇格した。 故郷の泉佐野市がタマネギの生産地で有名だった為に、若くして頭髪が薄かったことを「タマネギの食い過ぎ」「タマネギの祟り」などという弄られギャグや、最もインパクトの有るギャグはラバーカップ(トイレの詰まり取り)をその禿げた頭につけられ、そのまま引っ張り回されるというギャグ、また「ごちゃごちゃ言うとったら、しゃーきまっそー、ようワ~レ~」という泉州弁の叫び声で、当時、関西の子どもたちの間でよくマネをされていた。テレビ番組では『モーレツ!!しごき教室』にレギュラー出演し、『あっちこっち丁稚』では小番頭の役で、人気を博した。 1980年半ば人気・評判絶頂の中、それまで病気で新喜劇を休演することは一度も無かったが喉頭癌発病が発覚、1985年頃に声帯を切除する手術を行った。その後遺症として声が出にくくなり休養のち芸能界を完全引退した。この際、自身の心境の変化もあって、それまでの人間関係からも遠ざかることとなった。これは仲間に迷惑をかけたくないという理由もあったという。 1980年代、同じく身体障害者となった木村進と共に、吉本新喜劇中の悲劇の役者といえる存在としてあげられ、ごく最近まで「吉本新喜劇は観る事は出来ない」(室谷本人)と話していた。引退して20年以上経つ現在でも太平サブローやオール阪神など室谷のギャグやその舞台上でのしゃべり口調を真似をする芸人もおり、他の吉本興業所属芸人にとっても室谷の存在は大きかった事を物語っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「室谷信雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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