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宮城 まり子(みやぎ まりこ、本名:本目 眞理子(ほんめ まりこ)〔特別支援学校ねむの木児童・生徒募集のお知らせ ねむの木学園公式サイト〕、1927年3月21日 - )は、日本の歌手・女優・映画監督・福祉事業家。東京都名誉都民。 == 来歴 == 幼くして母と死別するつらい少女時代を送った。東京府蒲田に2人兄妹の妹として生まれる。父親の仕事の関係で、小学校3年から大阪で育つ〔佐藤正弥編著 『データ・バンク にっぽん人』 現代書林、1982年、218頁。〕。小学校5年の時、父親が事業で失敗、母親が病死する。そのため小学校卒業と同時に、兄と共に吉本興業に入り、歌謡曲を歌うようになった〔「女立志伝 私はこうして世に出た 流行歌手 宮城まり子さん」『読売新聞』1957年7月30日朝刊5頁。〕。戦時中の1944年10月、宮城千鶴子の芸名で15歳で大阪花月劇場(吉本興業直営)にて初舞台を踏む〔香川登志緒著 『大阪の笑芸人』 晶文社、1977年、252頁。〕。 その後、自らの一座を率いて九州を巡業し、終戦を迎える。戦後の1948年、父親、弟の八郎と上京、浅草の舞台に立つ。翌年、菊田一夫の推薦で日劇の舞台に主役として迎えられる。1950年2月 テイチクから「なやましブギ」でデビュー、ポリドールを経て、ビクター移籍第二弾『あんたほんとに凄いわね』が初ヒットになった。そして、1953年、レコードで歌った『毒消しゃいらんかね』が流行し一躍歌手としてその名が知れ渡った。1955年には、後のレコード大賞作詞家・宮川哲夫の手による『ガード下の靴みがき』も大ヒットした。その後も『納豆うりの唄』『てんてん娘』『夕刊小僧』などヒットを連発。弟八郎は宮城秀雄の名前で作曲家として活躍した。 NHK紅白歌合戦にも1954年の第5回から1958年の第9回までと、1960年の第11回から1962年の第13回までの計8回出場している(詳細は下記参照)。1958年、日本初のカラー長編アニメ映画『白蛇伝』で声優を務める。その後、女優業に進出し、1958年、『12月のあいつ』で芸術祭賞、1959年、『まり子自叙伝』でテアトロン賞を受賞。 1968年に肢体不自由児の社会福祉施設「ねむの木学園」を設立。この頃より、タレント活動は事実上引退状態となる。1973年、吉川英治文化賞受賞。1974年には記録映画『ねむの木の詩』を製作・監督し、第6回国際赤十字映画祭で銀メダル賞を受賞した。1976年には、『まんが世界昔ばなし』の声優として名古屋章とともに出演。1977年には『ねむの木の詩がきこえる』を製作した。1979年、「ねむの木養護学校」を設立。1975年と1981年に実施された、近畿放送(KBS京都)テレビ番組『宮城まり子のチャリティーテレソン』を通して身体障害者の社会参加を訴えた。これらが評価され、1979年総理大臣表彰された。また、身体障害者に対する手描き友禅、合唱の指導なども行っている。なお、ねむの木学園設立時のエピソードは、1981年12月22日にテレビ朝日「ハウスこども劇場」枠において、『小さなラブレター まり子とねむの木の子供たち』としてアニメ化された。 作家吉行淳之介と交際し、彼の死までよきパートナー関係(都内の互いの自宅で同居)であった。また、信心厚いクリスチャン(プロテスタント)でもある。また、同じく作家室生犀星にも可愛がられていた。犀星の見舞いにクリスタルカップを贈ったが、森茉莉に取られてしまった。(犀星のエッセイより) 2007年3月、日本経済新聞『私の履歴書』に自伝を執筆した。 2011年1月、自宅で転倒し腰椎を骨折して入院。 2011年2月、宮城の口座から現金約3100万円をだまし取ったとして、ねむの木学園元職員と音楽家の朝比奈圭の2人が詐欺罪で逮捕。9月、東京地裁よりそれぞれ懲役2年、懲役4年6月の有罪判決を受けた〔ねむの木学園詐欺:元職員ら2人に実刑-東京地裁判決 毎日新聞 2011年9月15日〕。同学園や宮城の個人口座からは計約5億円が引き出されているという〔ねむの木職員、宮城まり子園長の1500万詐取 読売新聞 2011年2月17日〕。2012年2月16日、東京高裁は一審判決を破棄し、朝比奈圭に懲役4年の有罪判決を言い渡した(ねむの木学園元職員は実刑確定)。 2012年11月、銀座ヤマハホールでシャンソンを歌い、歌手活動を30年ぶりに再開する〔宮城まり子さん、30年ぶり歌手復帰 読売新聞 2012年10月23日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮城まり子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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