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宮城喜代子(みやぎ きよこ、1905年1月29日 - 1991年2月19日)は、生田流箏曲家。妹である宮城数江と共に宮城道雄の門弟として有名。重要無形文化財保持者に各個認定(いわゆる人間国宝)、日本芸術院会員。 13歳で叔父の宮城道雄に入門してから、弟子、家族として道雄の死まで37年をともにした喜代子は、妹の数江と共に道雄の楽曲を最もよく理解し、演奏を体現していたといわれる。生涯独身を通し、道雄の国内外の数多くの演奏旅行に随行し、貞子夫人と共に、盲目であった道雄の音楽活動を支えた。道雄の死後も宮城箏曲の普及につとめ、後継者の育成にも尽力した。著書に自伝『箏ひとすじに』(文園社、1990年)がある。 == 略年譜 == *1905年(明治38年) 滋賀県大津市に牧瀬家の長女として生まれる。清子と命名。 *1918年(大正7年) この年1月叔母である吉村貞子が道雄に入門し、5月に結婚。貞子の勧めと本人の希望とで道雄の門下に入り、以降家族として道雄夫妻と生活を共にする。 *1923年(大正12年) 関東大震災。宮城家は被災を免れる。この年から姓名判断により、「喜代子」の名を使うようになる。 *1931年(昭和6年) 東京音楽学校の講師になる(1938年迄) *1952年(昭和27年) 東京芸術大学講師(1959年迄)。 *1956年(昭和31年) 宮城道雄、関西演奏旅行への途次、列車から転落死。 *1959年(昭和34年) 東京芸術大学助教授。 *1969年(昭和44年) 生田流協会副会長に選任される(1978年迄)。 *1971年(昭和46年) 母・牧瀬スミ死去。 *1975年(昭和50年) 勲四等宝冠章受章。 *1978年(昭和53年) 生田流協会会長に選任される(死去迄)。宮城道雄記念館が竣工・落成。 *1983年(昭和58年) 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。LP10枚組『箏曲 宮城喜代子全集』発売(ビクター)。 *1986年(昭和61年) 日本芸術院会員。 *1988年(昭和63年) 勲三等瑞宝章受章。 *1991年(平成2年) 逝去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮城喜代子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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